
戦国時代の武将って、みんな戦略家だったって言われるけど、本当にそうなんだろうか。
中学生のとき、歴史の先生が「信長は革新的で、秀吉は人たらしで、家康は我慢強い」って教えてくれたんだけど、それってただのキャラ分けじゃないかって最近思うようになった。実際に彼らがやってたのは、もっと泥臭くて、もっと人間臭いことだったんじゃないかって。例えば桶狭間の戦いなんて、教科書では「奇襲作戦の成功」って一言で片付けられてるけど、あれって結局、今川義元が油断してたタイミングを見計らって突っ込んだだけの話で。運と勘と、あとは「この瞬間しかない」っていう嗅覚の問題だったと思うんだよね。
戦略っていう言葉を聞くと、なんとなく盤上のゲームみたいなものを想像しちゃうけど、実際の戦国時代はもっとぐちゃぐちゃしてた。裏切りは日常茶飯事だし、昨日の味方が今日の敵になることもあった。真田昌幸なんて、武田→北条→徳川→上杉→豊臣って、コロコロ主君を変えてるわけで、これを「戦略的な生き残り術」って言えば聞こえはいいけど、要するに「強いやつについていく」を繰り返してただけかもしれない。でもそれが間違ってたかっていうと、そうでもなくて、真田家は最終的に生き残ったわけだから、結果的には正解だったんだろう。
そういえば去年の夏、岐阜城に行ったことがあるんだけど、あそこの天守閣から見える景色がすごくて。濃尾平野が一望できて、「ああ、ここから信長は天下を見てたのか」なんて思ったりしたんだけど、帰りに食べた鮎の塩焼きが骨多すぎて食べづらかったことしか覚えてない。歴史的感慨より食べ物の記憶のほうが強いって、我ながらどうかと思うけど。
武将たちの戦略って、実は「情報戦」だったんじゃないかって最近思ってる。誰がどこで何をしてるか、誰と誰が手を組もうとしてるか、どこの城の兵糧がどれくらい残ってるか。そういう情報を集めて、分析して、次の一手を考える。毛利元就の「三本の矢」の逸話なんて有名だけど、あれだって結局は息子たちに「バラバラになったら負けるぞ」って教えただけで、戦略というより家族会議みたいなもんだったんじゃないかと。でも、それが大事だったんだよね、きっと。
上杉謙信と武田信玄の川中島の戦いなんて、五回もやってるのに決着つかなかったわけで、あれって本当に「戦略的」だったのかって疑問に思う。お互いに相手の力量を測りながら、決定的な勝負を避けてたようにも見えるし、単純に「勝てる確信がなかった」だけかもしれない。啄木鳥戦法とか車懸りの陣とか、かっこいい名前がついてるけど、実際の戦場は砂埃と血の匂いと怒号で満ちてて、そんな優雅なもんじゃなかっただろうし。
秀吉の中国大返しは「神速の行軍」って言われてるけど、あれも冷静に考えたら、明智光秀が京都でモタモタしてる間に戻ってきただけで、光秀のほうがヘタ打っただけかもしれない。もちろん秀吉の判断力と実行力はすごいんだけど、「戦略の天才」っていうより「チャンスを逃さない嗅覚」のほうが正しい気がする。人間って、成功した人のことは何でもかんでも「計算ずく」って思いたがるけど、本人たちは結構その場その場で必死に考えてただけなんじゃないかって。
家康の関ヶ原における根回しなんて、まさに「人の心を読む」ゲームだったと思う。小早川秀秋を寝返らせるために、どんな言葉をかけたのか、どんな条件を提示したのか。それとも何も言わずに、ただ「勝ち馬に乗りたいだろ?」っていう空気を作っただけなのか。戦略っていうのは、結局のところ「相手が何を考えてるか」を読んで、「じゃあどう動けばいいか」を決めることなんだろうね。
最近、戦国時代のボードゲーム(「戦国ストラテジア」っていう架空のやつ)をやったんだけど、全然勝てなくて。ルールは理解してるし、セオリーも知ってるのに、相手の動きが読めなくて負ける。ああ、これかって思った。戦略って、知識じゃなくて感覚なんだって。武将たちも、きっとそういう感覚で動いてたんだろうな。
結局、戦国時代の戦略って、今のビジネス書に書いてあるような「五つのステップ」とか「成功の法則」みたいなもんじゃなかったと思う。もっと曖昧で、もっと人間的で、もっと「その瞬間の空気」に左右されるものだった。教科書に載ってる「戦略」は、後世の人間が整理して、わかりやすくパッケージングしたものに過ぎなくて、本当のところは誰にもわからない。
まあ、そんなことを考えながら、今日も仕事の戦略を練ってるわけだけど。
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