
羽生善治って知ってる?
将棋の世界で永世七冠を達成した、あの羽生さん。私が彼の言葉に出会ったのは、正直なところ将棋とは全く関係ない場面だった。当時、派遣社員として働いていた私は、毎日同じ作業の繰り返しに飽き飽きしていて。朝起きるのが辛くて、布団の中でスマホをだらだら見ていたときに、たまたま目に入ってきたんだよね。
「才能とは、同じ情熱を持続させる能力のこと」
最初に読んだときは、正直ピンとこなかった。才能って、生まれつき持ってるものじゃないの?みたいな。でも何度か読み返しているうちに、なんだか胸がざわざわしてきて。羽生さんがこの言葉を口にしたのは、インタビューの中で「天才と呼ばれることについてどう思うか」と聞かれたときだったらしい。彼は即座に否定したわけじゃなく、むしろ才能という言葉の定義を変えてみせた。
考えてみれば、将棋の世界って残酷だ。勝つか負けるか、白黒はっきりしてる。曖昧さがない。羽生さんはその世界で何十年も第一線にいて、タイトルを取り続けてきた人。そんな人が「才能は持続する力だ」って言うんだから、説得力が違う。彼自身、何度も負けを経験して、若手に追い上げられて、それでも盤の前に座り続けてきたわけで。
私の話をすると、あのとき派遣先の倉庫で働いていて、毎日段ボールを運んでた。夏は暑くて冬は寒い、典型的な物流センター。同じ作業を8時間、週5日。正直、これに情熱なんて持てるわけないじゃんって思ってた。でも羽生さんの言葉を知ってから、ちょっと見方が変わったというか。
情熱を持続させるって、別に毎日テンション高く「よっしゃー!」ってなることじゃないんだよね。淡々と、でも確実に、同じ方向を向き続けること。それが才能なんだって。そう考えたら、私が毎日倉庫に行くことも、少しは意味があるように思えてきた。いや、本当に。
ちなみに私、あの頃コンビニのおにぎりにハマってて。特にセブンの「金のおむすび」シリーズ。夜勤明けに買って食べるのが唯一の楽しみだったんだけど、これ関係ないか。
羽生さんが面白いのは、この言葉の後に続けて「だから誰にでも才能はある」とは言わなかったところ。彼は現実主義者だから。持続できる人とできない人がいる。それが事実だって認めてる。でもだからこそ、持続できたときの価値が際立つんだと思う。
私が派遣を辞めて、今の仕事を始めたのは、それから2年後。Webライターという、また別の世界に飛び込んだ。最初は全然稼げなくて、1記事500円とかで書いてた時期もある。キーボードを叩く音だけが深夜の部屋に響いて、これで本当に食べていけるのかって不安で押しつぶされそうになった。
でも羽生さんの言葉を思い出すんだよ。才能は持続する能力。私にできることは、今日も書くこと。明日も書くこと。それだけ。結果がすぐに出なくても、評価されなくても、とにかく続けること。将棋の駒を動かし続ける羽生さんと、キーボードを叩き続ける私。スケールは全然違うけど、本質は同じなんじゃないかって。
実際、続けてみると見えてくるものがあった。文章のリズムとか、読者が求めている情報の形とか。最初は全く分からなかったことが、少しずつ分かるようになってくる。それは才能が開花したとかじゃなくて、単純に続けたから見えてきただけ。
羽生さんは別のインタビューで「才能は継続の中にしか見出せない」とも言ってる。これ、本当にそうだと思う。やってみないと分からないし、続けてみないともっと分からない。私たちは「自分には才能がない」って簡単に言うけど、本当は「まだ持続していない」だけかもしれない。
今、この文章を読んでいるあなたが何をしているのか、私は知らない。オフィスで働いているかもしれないし、店舗で接客しているかもしれない。フリーで何かを作っているかもしれないし、家事や育児の合間に自分の時間を探しているかもしれない。
でも、もし今ちょっと疲れていたり、自分には向いてないんじゃないかって思っていたりするなら。羽生さんの言葉を借りて言いたい。才能があるかないかじゃなくて、続けられるかどうか。それだけが問題なんだって。
私も今日、この記事を書き終えたら、また次の仕事に取りかかる。特別なことは何もない。ただ続けるだけ。
それが私の才能だと信じて。









