
疲れた夜に限って、なぜか変なことを思い出す。
仕事帰りのコンビニで缶コーヒーを選んでいたとき、ふと高校時代の体育の授業を思い出した。走るのが死ぬほど嫌いだった私は、いつも最後尾でゼーゼー言いながら、なんでこんなことやらされてるんだろうって本気で考えていた。今思えば、あの頃から「やらされてる感」との付き合いが始まっていたのかもしれない。
為末大という陸上選手のことを、ちゃんと知ったのは社会人になってからだった。彼が残した言葉に「諦めるという言葉は、『明らかに見極める』と書く」というのがある。最初に聞いたときは、正直ピンとこなかった。諦めるって、ただの逃げじゃないのかって。
でも彼のインタビュー記事を読んでいくうちに、その言葉の重みが分かってきた。為末さんは100メートルの短距離選手として世界を目指していたけれど、どうしても世界のトップには届かなかった。身長が170センチに満たない体格で、黒人選手たちと真正面から競うことの限界を感じていたらしい。それで400メートルハードルに転向した。結果、世界選手権で二度も銅メダルを獲得している。
諦めたんじゃなくて、見極めたんだ。
私の前の職場に、50代のパートさんがいた。名前は伏せるけど、いつも朗らかで、でもたまに「若い頃はもっと違う仕事がしたかったんだけどね」って笑っていた。彼女は20代の頃、デザイナーを目指していたらしい。でも結婚して、子育てして、気づいたら事務の仕事を20年以上続けていた。ある日、彼女が「今の仕事、意外と好きなのよ」って言ったんだ。「デザイナーになれなかったことは諦めたけど、人と関わる仕事の方が自分に合ってたって分かったから」って。
見極めるって、負けを認めることじゃない。
自分がどこで輝けるかを、冷静に探すことなんだと思う。為末さんは別のインタビューでこんなことも言っていた。「他人の期待に応えようとして苦しんでいる人が多すぎる」って。これ、めちゃくちゃ刺さった。私も上司の期待、親の期待、なんなら自分が勝手に作り上げた「こうあるべき自分」の期待に、がんじがらめになっていた時期があったから。
深夜のファミレスで一人、ノートパソコンを開いて副業の企画書を書いていたことがある。本業の会社では評価されない自分の企画力を、どこかで試したかった。眠気と戦いながら、隣の席ではカップルが楽しそうに話していて、なんだか惨めな気持ちになった。あれは確か、桜が散り始めた4月の終わり頃だったと思う。窓の外から、夜風に乗って甘い花の香りが流れ込んできていた…だけど。
為末さんの言葉を知ってから、少し楽になった気がする。無理に短距離で勝負しなくてもいい。自分に合う距離、自分に合うハードルの高さを見つければいい。それは逃げじゃなくて、戦略なんだ。
今の仕事が辛いなら、それは本当に自分に合っていないのかもしれない。でも辞めるのが怖いなら、もしかしたらやり方を変えるだけでいいのかもしれない。配置転換を希望してみるとか、働き方を相談してみるとか。私の知り合いは営業から総務に異動したら、水を得た魚みたいに生き生きし始めた。「数字に追われるより、人をサポートする方が性に合ってた」って。
見極めるためには、まず自分を知らないといけない。何が得意で、何が苦手で、どんな環境なら力を発揮できるのか。これが意外と難しい。私たちは他人のことはよく観察するくせに、自分のことは全然見えていない。
為末さんは引退後、スポーツと社会について発信を続けている。彼の言葉には、トップアスリートとしての経験だけじゃなくて、一人の人間としての葛藤が滲み出ている。完璧な人間なんていない。みんな迷いながら、自分の道を探している。
コンビニのレジで会計を済ませながら、ふと思った。明日からまた仕事だ。相変わらず理不尽なこともあるだろうし、思い通りにいかないこともあるだろう。でも、少なくとも「諦める」と「見極める」は違うってことだけは、忘れないでおこうと思う。
帰り道、自販機の前で立ち止まった。缶コーヒー、さっきコンビニで買ったばかりなのに。









