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朝の六時、まだ誰も出社していない事務所で一人コーヒーを淹れながら、ふと手元の資料に目を落とす。今月の売上予測、競合の動向、限られた予算をどう配分するか。頭の中で数字が踊る中、ぼんやりと窓の外を見ると、街路樹の葉が秋の風に揺れていた。

そんな時、私はいつも思い出す武将がいる。真田昌幸という男だ。

戦国時代、信濃の片隅にわずか三千石程度の小さな領地しか持たなかった真田家。周囲には武田、上杉、北条、徳川といった大勢力がひしめき、いつ飲み込まれてもおかしくない状況だった。だが、昌幸はその環境を嘆かなかった。むしろ、小さいからこそできる戦い方を徹底的に磨き上げた。

彼が得意としたのは、いわゆる「外交戦略」である。武田が滅んだ後、昌幸は驚くべき速さで北条に寝返り、次いで徳川に、さらには上杉へと鞍替えを繰り返した。一見すると節操がないように見えるが、これは決して裏切りではない。状況を冷静に見極め、自分の家と領民を守るために最善の選択を続けた結果だった。大企業に挟まれた中小企業が、どこと組むかを柔軟に判断し、生き残りを図る姿に重なる。

ある時、徳川家康が大軍を率いて真田の居城である上田城を攻めてきたことがあった。兵力差は圧倒的。普通なら降伏するか、全滅を覚悟するしかない。だが昌幸は、城の構造を巧みに利用し、敵を狭い場所に誘い込んで撃退した。この「第一次上田合戦」は、後世まで語り継がれる見事な勝利だった。

ここで注目すべきは、昌幸が「正面から戦わなかった」という点だ。彼は自分の力を冷静に分析し、相手の弱点を突くことに全力を注いだ。資金力で勝てないなら、スピードで勝つ。人数で劣るなら、情報で上回る。この発想は、今の時代にこそ必要なものではないだろうか。

私自身、以前に大手企業との競合案件で苦しんだことがある。予算も人員も桁違いの相手に、どう立ち向かえばいいのか。夜遅くまで考え続けた末、ふと思い出したのが真田昌幸の戦い方だった。正面勝負を避け、自分たちだけが持つ強みに集中する。それは、顧客との距離の近さであり、迅速な意思決定であり、柔軟な提案力だった。結果として、その案件は受注できた。

真田昌幸のもう一つの特徴は、「情報収集」への執念だった。彼は忍者集団を抱え、各地の動向を常に把握していた。敵がどこに兵を集めているか、どの武将が不満を持っているか、天候はどうか。すべてが戦略の材料になった。現代のビジネスでも、情報はそのまま武器になる。市場のトレンド、顧客のニーズ、競合の動き。それらを誰よりも早く、正確につかんだ者が優位に立つ。

昌幸の戦略には、もう一つ見逃せない要素がある。それは「撤退の美学」だ。彼は無理な戦いを避け、必要とあらば躊躇なく引いた。関ヶ原の戦いの後、徳川の勝利が確定すると、昌幸は潔く降伏し、高野山へと流された。だがその決断が、真田家の血脈を次の世代へとつないだ。

経営においても、撤退の判断は極めて難しい。投資した時間や資金を思うと、どうしても引くに引けなくなる。だが、昌幸のように「負けを認める勇気」を持つことが、次の勝利への道を開くこともある。

先日、知人の社長が新規事業から撤退を決めた。彼は「真田昌幸みたいに、引く時は引く」と笑っていた。その言葉には、悔しさと同時に、次への覚悟が滲んでいた。

真田昌幸という武将は、決して天下を取った英雄ではない。だが、彼の戦略には現代のビジネスに通じる普遍的な知恵が詰まっている。小さくても戦える。弱くても勝てる。そのためには、自分を知り、相手を知り、状況を見極める冷静さが必要だ。

事務所のコーヒーメーカーが小さく音を立てて、抽出を終えた。カップを手に取ろうとして、うっかり資料の束に肘をぶつけてしまい、書類が数枚ばらりと床に散った。少し笑いながら拾い上げる。完璧な戦略なんて、最初から存在しないのかもしれない。

大事なのは、今ある手札で最善を尽くすこと。そして、変化を恐れず、柔軟に動き続けること。真田昌幸が教えてくれるのは、そんなシンプルで力強い生き方だった。