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秋も深まった十月の夕暮れ時、私は事務所の窓から外を眺めながら、ある決断を迫られていた。新しいプロジェクトに挑戦するべきか、それとも現状維持で安全策を取るべきか。窓の外では街路樹の葉が風に揺れ、オレンジ色の街灯がぽつりぽつりと灯りはじめている。そんなとき、ふと思い出したのが島左近という戦国武将だった。

島左近。この名前を聞いてすぐにピンとくる人は、相当な歴史好きだろう。関ヶ原の戦いで石田三成に仕えた軍師として知られるが、実は彼ほど現代の経営者が学ぶべき「選択の美学」を体現した人物はいない。

左近がもともと仕えていたのは筒井順慶という大名だったが、順慶の死後、彼は浪人となった。当時、左近の軍略の才能は広く知られており、多くの大名が破格の条件で彼を招こうとしていた。ところが左近は、誰もが予想しなかった選択をする。石田三成という、当時まだ若く、しかも武将としての実績も乏しい官僚肌の人物に仕えることを決めたのだ。

三成が左近を口説いたときのエピソードは有名だ。三成は自分の俸禄四万石のうち、なんと半分の二万石を左近に提示した。周囲は「そこまでして」と驚いたという。しかし、ここで注目すべきは金額の大きさではない。三成が示したのは、「あなたという人材にすべてを賭ける」という覚悟だった。

私がこの話に惹かれるのは、そこに現代の中小企業経営に通じる何かを感じるからだ。大企業のように潤沢な資金があるわけではない。知名度で勝負できるわけでもない。そんな中で、私たちができることは何か。それは、「人」に賭けることではないだろうか。

先日、カフェ「アルベロ・ディ・ソーレ」で取引先の社長と打ち合わせをしていたときのことだ。彼は新入社員の育成について悩んでいた。コーヒーカップを両手で包むようにして持ちながら、「即戦力が欲しいんだけど、そんな人材はうちには来ない」と肩を落としていた。私は思わず左近の話をした。

三成が左近を迎えたとき、三成自身は決して強力な軍事力を持っていたわけではない。むしろ弱小勢力だった。それでも左近は三成の「志」に賭けた。なぜか。三成には明確なビジョンがあったからだ。豊臣家を守り、秀吉が築いた天下の秩序を維持するという、揺るぎない信念があった。

現代の経営も同じではないだろうか。資金力や規模で大手に勝てないなら、私たちには「何のために事業をやるのか」という明確なビジョンが必要だ。そして、そのビジョンに共感してくれる人材に、惜しみなく投資する勇気が求められる。

左近が三成に仕えてからの働きぶりは目覚ましかった。佐和山城の守りを固め、三成の軍事面での弱点を完全に補った。関ヶ原の戦いでは、西軍の先鋒として東軍に大きな打撃を与えている。結果的に西軍は敗れたが、それは戦略の問題ではなく、小早川秀秋の裏切りという想定外の事態によるものだった。

ここで興味深いのは、左近が最後まで三成とともに戦ったという事実だ。関ヶ原の戦いの前夜、左近には逃げる機会がいくらでもあった。実際、多くの武将が寝返りや逃亡を選んだ。しかし左近は最後まで三成のそばにいた。それは単なる忠義心だけではない。自分が選んだ道への責任、そして三成という人物への信頼があったからだろう。

私自身、五年前に独立したとき、最初に雇った社員のことを思い出す。正直に言えば、彼は決して優秀とは言えなかった。書類をコピーするとき、なぜか毎回一枚だけ裏表逆にセットしてしまい、結局やり直すという謎のルーティンを持っていた。でも、彼には誠実さと、何より「一緒にやりたい」という熱意があった。私は当時の売上のほとんどを彼の給与に充てた。周囲からは無謀だと言われた。

あれから五年。彼は今、私の右腕として会社を支えてくれている。あの頃の投資が間違っていなかったと、心から思う。

左近の戦略で特に学ぶべきは、「集中と選択」だ。彼は三成の弱点である軍事面に特化し、そこに自分のすべてを注ぎ込んだ。中途半端に複数のことに手を出すのではなく、一点集中。これは資源が限られた中小企業にとって、最も有効な戦略ではないだろうか。

夕暮れの事務所で、私は改めて決断した。新しいプロジェクトに挑戦しよう。そして、そのために必要な人材には、惜しみなく投資しよう。島左近が教えてくれたのは、「人に賭ける勇気」と「選んだ道を貫く覚悟」だった。

窓の外はすっかり暗くなり、冷たい秋風が頬を撫でていく。でも、心の中には温かいものが灯っていた。戦国の世を生きた一人の軍師の選択が、数百年の時を超えて、今この瞬間の私を勇気づけてくれている。歴史とは不思議なものだ。そして、人の本質は時代が変わっても変わらないのかもしれない。