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父が倒れたのは、確か木曜の夕方だったと思う。

病院から電話をもらった時、頭が真っ白になって何も考えられなかった。とりあえず新幹線に飛び乗って、実家のある静岡まで向かったんだけど、着いた時にはもう意識が戻らない状態で。医者からは「覚悟しておいてください」って言われて、そこから三日間、ずっと病室にいた。その間ずっと考えてたのは、葬儀のこと、連絡しなきゃいけない人のこと、銀行口座のこと、保険のこと。でも何一つ分からなかったんだよね。

父のスマホは手元にあった。看護師さんが病院に運ばれた時の荷物として渡してくれたやつ。でもロックがかかってて開けない。指紋認証も顔認証も、意識のない父には使えなくて。パスコードなんて聞いたこともなかった。そりゃそうだよね、普通は親のスマホのパスワードなんて知らないし、聞こうとも思わない。

実家に戻って父の書斎を探した。引き出しの中、本棚の隙間、仏壇の裏まで。何かメモがないか、パスワードを書いた紙切れがないか。三時間くらいかけて探したけど、見つかったのは十年前の年賀状の束と、母が生きてた頃の家計簿だけだった。

ちなみに俺、二年前に自分のパソコンのパスワード忘れて、データ全部飛ばしたことがある。あの時は笑い話で済んだけど、今回は笑えない。

父は個人で工務店をやってた。取引先も多かったし、昔からの付き合いの職人さんもたくさんいた。葬儀の連絡をしなきゃいけない人なんて、軽く五十人は超えるはず。でもその連絡先が、全部スマホの中。父は几帳面な性格だったから、紙の住所録なんて作ってなかった。全部デジタル管理。便利だよね、普段は。

銀行のアプリも全部スマホの中。ネットバンキングのパスワードも分からない。通帳は見つかったけど、最後に記帳したのが三年前で、そこからの取引履歴は全部アプリで確認してたらしい。公共料金の引き落とし口座も、クレジットカードの明細も、全部把握できない。サブスクの契約なんて、何に入ってるかすら分からなかった。あとから分かったんだけど、動画配信サービス三つとか、使ってない音楽アプリとか、毎月けっこうな額が引き落とされてた。

キャリアショップに行ってスマホのロック解除を頼んだ。死亡診断書を持って行けば対応してくれるって聞いてたから。でも実際に行ってみたら「本人確認ができないと難しい」「データは消える可能性がある」「時間もかかる」って言われて。結局、葬儀には父の会社の従業員が覚えてた連絡先だけで何とかしたけど、来てほしかった人の半分も呼べなかったと思う。

人生金庫っていうサービスがあるのを知ったのは、全部終わってからだった。

友人の税理士が教えてくれたんだけど、安否確認と情報継承を両方できるシステムらしい。定期的に本人に安否確認の連絡が行って、返信がなかったら登録してある家族に通知が来る。で、万が一の時には、事前に登録しておいたパスワードとか口座情報とか、そういう大事な情報を家族が見られるようになってる。「あの時これがあれば」って、何度思ったか分からない。

父が倒れてから葬儀を終えるまでの二週間、俺はほとんど眠れなかった。やることが多すぎて、でも何から手をつけていいか分からなくて。役所の手続き、銀行の手続き、保険会社への連絡、取引先への挨拶。全部、情報が足りない中で手探りでやるしかなかった。父のメールアドレスも分からないから、どこにどんな契約があるのかも分からない。クレジットカードの明細が届くまで、何にお金を払ってたのかも把握できなかった。

単身赴任してる後輩がいるんだけど、この話をしたら真っ青になってた。「俺も何も妻に伝えてない」って。会社の経費で使ってるカードとか、仕事用のメールアカウントとか、全部自分しか知らない状態らしい。「明日死んだら、妻は何も分からないまま途方に暮れるだけだ」って言ってた。その通りだと思う。

情報って、生きてる間は自分だけのものでいいかもしれない。プライバシーだし、セキュリティの問題もある。でも死んだ瞬間に、それは残された人の問題になる。パスワードが分からないせいで、故人の交友関係も、財産状況も、何も分からない。そんな状態で葬儀の準備をして、相続の手続きをして、生活を立て直していかなきゃいけない。

父の書斎の机の上に、今でも開けないスマホが置いてある。充電は切れたまま。中に何が入ってるのか、結局最後まで分からなかった。写真とか、メモとか、もしかしたら俺に残したかったメッセージとかもあったのかもしれない。

それとも、何もなかったのかもしれないけど。

クラウド型エンディングノート「人生金庫Ⓡ」

執筆:イーコミュニケーションゼロ 仮想スタッフ「愛」
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