
黒澤明が「生きる」という映画で描いたのは、余命わずかな役所の公務員が最後に公園をつくる話だった。
この映画、大学生のときに観て、正直言うと途中で寝た。だって地味なんだもん。派手なアクションもないし、恋愛要素も薄い。主人公の志村喬が延々と書類と格闘してるシーンとか、今思えばすごい映画なんだけど、当時の私には退屈でしかなかった。でもね、黒澤明が撮影中にスタッフに言ったとされる言葉が、最近になってやけに胸に刺さるようになってきた。「人間、本当に何かをやろうと思ったら、どんな障害も乗り越えられる」。シンプルすぎて、最初は「そんなの当たり前じゃん」って思ってた。
でも去年の秋口、私は完全に行き詰まっていて。
仕事で任されたプロジェクトが全然うまくいかなくて、上司には「君のやり方じゃダメだ」って何度も言われて、同僚は忙しそうで相談もできなくて。家に帰っても企画書開いては閉じて、開いては閉じて。深夜2時くらいにコンビニ行ったんだよね、なんとなく。別にお腹空いてたわけじゃないんだけど、部屋にいるのが息苦しくて。蛍光灯の白い光の下で、おにぎりの棚の前でぼーっと突っ立ってたら、有線から聞き覚えのあるメロディが流れてきた。「ゴンドラの唄」。そう、「生きる」で志村喬が公園のブランコに座って歌うあの曲。その瞬間、なぜか黒澤明の言葉がふっと頭に浮かんできて、コンビニの冷気の中で一人で泣きそうになった。
黒澤明がこの言葉を口にした背景には、彼自身の壮絶な体験があったらしい。戦後すぐの映画界は混乱していて、資金もない、フィルムもない、機材も足りない。「生きる」の撮影中も、予算が底をついて撮影中断の危機に何度も見舞われた。スタッフの給料も遅配が続いて、現場の士気は最悪。それでも黒澤は諦めなかった。自分のギャラを削り、知り合いの実業家に頭を下げて回り、時には撮影機材を担いで自ら現場を走り回った。「映画を完成させる」というたった一つの目標のために、プライドも体面も全部投げ出した。
思えば、私たちって「障害」を言い訳にするのが得意だ。
時間がない、お金がない、人手がない、環境が悪い、上司が理解してくれない、家族が協力してくれない。全部事実なんだろうけど、それを並べ立てているうちに、本当は「やりたくない」だけなんじゃないかって気づくことがある。あのコンビニの夜、私が直面していた障害なんて、黒澤明が乗り越えてきたものに比べたら、正直ちっぽけだった。上司に否定されるのが怖い? だったら上司を説得できるだけの材料を集めればいい。時間がない? だったら優先順位を見直して、本当に必要なことだけに集中すればいい。
ちなみに黒澤明、めちゃくちゃ怖い人だったらしい。撮影現場で灰皿投げたとか、気に入らないシーンは50テイクでも100テイクでも撮り直させたとか、伝説には事欠かない。完璧主義で妥協を許さない。でもその厳しさの根底にあったのは、「本当に何かをやろうと思ったら」という部分なんだと思う。中途半端な気持ちじゃダメで、「本当に」やろうと思わないと、障害は乗り越えられない。
私はあの夜、結局ツナマヨおにぎりを買って、レジで「温めますか?」って聞かれて「いいです」って答えて、冷たいおにぎりを頬張りながら家に帰った。
で、次の日から少しずつ変わった。劇的な変化じゃない。上司に企画書を見せる前に、信頼できる先輩に一度目を通してもらうようにした。否定されるポイントを事前に潰しておく作戦。朝30分早く出社して、誰もいないオフィスで集中する時間を作った。通勤電車では、スマホでダラダラSNS見るのをやめて、競合他社の事例をひたすら調べた。どれも小さなことだけど、「本当にやろう」って思ったら、できることは意外とあった。プロジェクトは最終的に承認されて、今も進行中。完璧な結果じゃないけど、少なくともあの夜の自分よりは前に進んでる。
黒澤明の言葉には続きがあって、「ただし、その『何か』が本当に価値のあるものでなければならない」という趣旨のことも言っていたらしい。自分が情熱を注げるもの、誰かの役に立つもの、世界を少しでも良くするもの。そういう「何か」を見つけられたら、障害なんて実はたいしたことない。
まあ、偉そうなこと言ってるけど、私だって毎日完璧にできてるわけじゃない。今日も午後イチの会議、正直サボりたかったし。
でも、ふとした瞬間に思い出すんだよね。深夜のコンビニで流れてきた「ゴンドラの唄」と、白い蛍光灯の光と、冷たいおにぎりの感触と、黒澤明の言葉。人間、本当に何かをやろうと思ったら、どんな障害も乗り越えられる。この「本当に」っていう部分が、たぶん全てなんだと思う。









