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十一月の夕暮れ、ビルの谷間に挟まれた焼肉店「炎蔵」の暖簾をくぐると、炭火の香りと肉の焦げる音が一気に押し寄せてくる。その瞬間、誰もが無言のまま笑顔になるのだ。焼肉というのは不思議な食べ物で、まだ何も口にしていないのに、その場にいるだけで気持ちが緩んでいく。

私が初めて焼肉を”仕事の場”として意識したのは、ある取引先の社長に誘われた交流会でのことだった。普段は会議室で硬い表情を崩さない彼が、トングを手にした途端、まるで少年のように目を輝かせていたのが印象的だった。「カルビはこう焼くんだよ」と、片面をじっくり焼いてから裏返し、肉汁が浮いてきたところで引き上げる。その手つきには、経営者としての采配とはまた違う、確かな”こだわり”があった。

焼肉の魅力は、ただ美味しいというだけではない。それは網の上で起こる、小さなドラマの連続だ。誰がどの肉を焼くか、どのタイミングでひっくり返すか、焦げそうになった肉を誰が救うか。そこには自然と役割が生まれ、会話が生まれ、笑いが生まれる。会議室では決して見せなかった表情が、炭火の前では次々と現れるのだ。

特に印象深いのは、ロースを焼くときの緊張感である。薄くスライスされた赤身の美しさ、脂の入り方、そして網に乗せた瞬間のジュッという音。あれは誰が聞いても食欲をそそる音だ。焼きすぎれば硬くなり、早すぎれば生々しい。そのちょうどいい瞬間を見極めるには、集中力と経験が必要になる。だからこそ、焼肉は”共同作業”になるのだろう。

ある日の交流会では、初対面の経営者たちが五人集まった。最初はぎこちない挨拶と名刺交換が続いたが、肉が運ばれてきた途端、空気が変わった。「タン塩はレモンをかける派ですか?」「ハラミは最初に焼いちゃダメですよ、後半のお楽しみです」などと、誰からともなく会話が弾み始める。そして気づけば、それぞれの事業の話、苦労話、ときには家族の話まで、自然と口に出ていた。

焼肉には、人の距離を縮める力がある。それはおそらく、”火を囲む”という原始的な行為に根ざしているのかもしれない。人類は太古の昔から、火を囲んで語り合い、分け合い、絆を深めてきた。その記憶が、私たちのDNAに刻まれているのではないか。そんなことを考えながら、私は網の上でゆっくりと色を変えていくカルビを眺めていた。

ちなみに、その日の交流会で一つだけ笑い話があった。ある社長が「俺、焼肉得意なんだよ」と自信満々にタンを焼き始めたのだが、つい話に夢中になってしまい、気づいたときには見事に真っ黒に。周囲が「社長、それもう炭ですよ」と指摘すると、彼は苦笑いしながら「経営も焼肉も、タイミングが命だな」とつぶやいた。その一言で場の空気がさらに和み、それ以降、彼は誰よりも話しやすい存在になっていた。

焼肉の部位にはそれぞれ個性がある。カルビの濃厚な旨み、ロースの上品な甘み、ハラミの柔らかさ、ホルモンの独特な食感。それはまるで、人それぞれに得意分野があるのと似ている。誰かが焼き担当、誰かが配る係、誰かがタレを選ぶ。そうやって役割が自然と生まれ、チームができていく。これこそが、焼肉が持つ”場の力”なのだと思う。

煙が立ち上る網の向こうで、誰かが笑っている。その笑顔は、会議室では決して見られないものだ。ビールのグラスを傾け、次に何を焼こうかと相談し合う。そんな何気ない時間の中に、信頼が生まれ、ビジネスの種が芽吹いていく。焼肉は、ただの食事ではない。それは、人と人とをつなぐ”儀式”なのだ。

私自身、子どもの頃に父と行った焼肉屋の記憶が今も鮮明に残っている。父は無口な人だったが、焼肉を食べるときだけは饒舌になった。「この肉はな、こうやって焼くんだ」と、丁寧に教えてくれた。その温かさと、炭火の温もりが、今でも胸の奥に残っている。

だから私は、大切な人と会うときには焼肉を選ぶ。それは単なる食事ではなく、心を開くための”きっかけ”だからだ。網の上で肉が焼けるのを待つ時間、煙に目を細めながら語り合う時間、そのすべてが、かけがえのないコミュニケーションになる。

焼肉は、パワーの源であり、対話の場であり、信頼を育む舞台でもある。もしあなたが誰かと本当の意味でつながりたいと思うなら、ぜひ焼肉を囲んでほしい。そこには、言葉以上の何かが、確かに存在しているのだから。