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父が亡くなったのは、秋の長雨が続いた十月の終わりだった。突然の訃報に駆けつけた実家で、私たちが直面したのは予想もしていなかった困難だった。父のスマートフォンは、ロック画面のまま沈黙している。銀行口座の通帳は見つかったが、最近の取引はすべてオンラインに移行していて、パスワードがわからなければ何も確認できない。書斎の引き出しには、メモ帳や手帳がいくつも残されていたが、肝心のログイン情報は一切書かれていなかった。

母は涙を拭いながら、「お父さん、几帳面だったのにね」とつぶやいた。そう、父は生前、セキュリティ意識が高く、パスワードを紙に書くことを嫌っていた。それは確かに正しい姿勢だったのかもしれない。けれど、その正しさが、今、私たちを途方に暮れさせている。

クラウド型エンディングノートという仕組みがあることを知ったのは、それから数週間後のことだった。友人が何気なく教えてくれたそのサービスは、生前に記録した情報を、万が一の際に指定した相手へ自動的に引き継ぐ仕組みだという。定期的に安否確認の通知が届き、それに応答しなければ、あらかじめ登録しておいた家族や親族に情報が開示される。父がこれを使っていてくれたら、と思わずにはいられなかった。

実際、父のスマホには十数個ものアプリが入っていた。銀行、証券会社、電子マネー、サブスクリプションサービス。解約しなければ毎月料金が引き落とされ続けるものもあるはずだ。だが、どれがどのメールアドレスに紐づいていて、どんなパスワードで守られているのか、私たちには知る術がなかった。結局、携帯会社のショップに何度も足を運び、弁護士に相談し、膨大な時間と手続きを重ねることになった。

情報継承という言葉は、少し堅苦しく聞こえるかもしれない。けれど、それは決して資産家だけの話ではない。私たちの日常は、無数のデジタルな鍵で守られている。SNSのアカウント、写真を保存したクラウドストレージ、ネットショッピングの履歴、そして銀行や証券口座。それらすべてに、誰かに伝えるべき情報が眠っている。

ある日、母が父の書斎でコーヒーを飲みながら、ふと笑ったことがあった。「お父さん、昔から秘密主義だったのよ」と。確かに父は、誕生日プレゼントも最後まで隠し通すような人だった。そのささやかな秘密主義が、今度ばかりは笑えない結果を招いてしまった。母は少し困ったように首を傾げて、「でも、悪気はなかったのよね」と付け加えた。

もし、あなたが一人暮らしをしているなら、あるいは高齢の親を遠くから見守る立場にあるなら、安否確認と情報継承の仕組みを整えておくことは、決して大げさな備えではない。それは、残される人への最後の優しさだと思う。私の父は几帳面で、責任感の強い人だった。けれど、その几帳面さが裏目に出てしまったのだ。

クラウド型エンディングノートは、紙のノートと違って紛失の心配がなく、更新も簡単にできる。定期的に届く安否確認の通知に応答するだけで、あなたが元気であることが記録される。そして、もし応答がなければ、あらかじめ指定しておいた家族に、必要な情報が届けられる。パスワード、契約情報、資産の在り処、解約すべきサービスの一覧。それらすべてを、あなた自身の言葉で、大切な人に手渡すことができる。

夫婦であっても、すべてを共有しているわけではない。内緒の口座や、ひっそりと続けている趣味のサブスク、昔の友人とだけ繋がっているSNSアカウント。それらは、生きている間は個人の自由として尊重されるべきものだ。けれど、万が一のときには、誰かがそれを整理しなければならない。その負担を、少しでも軽くできるなら、それは愛する人への贈り物になるはずだ。

父の遺品整理を終えた今、私は自分のスマホを見つめ直すようになった。ロック画面に映る自分の顔。その向こうに広がる、無数のパスワードで守られた世界。もし明日、私に何かあったら、夫はこれをどうやって開くのだろう。子どもたちは、私が残したデジタルの足跡を、どうやってたどるのだろう。

安否確認は、ただの見守りではない。それは、あなたが無事であることを証明し続ける手段であり、同時に、もしものときの道しるべでもある。情報継承は、財産の話だけではない。それは、あなたが生きた証を、きちんと手渡すための準備なのだ。

父の書斎には、今も彼の匂いが残っている。コーヒーと古い本と、わずかに混じる整髪料の香り。窓から差し込む午後の光が、埃を照らしている。私はそこに座って、父が遺してくれたものと、遺せなかったものについて考える。そして、自分が遺すべきものについても。

誰にも言えなかった「あのパスワード」が、いつか誰かを困らせる日が来ないように。大切な人を迷宮に閉じ込めないために。今、できることがある。