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焼肉店の扉を開けた瞬間、あの独特の煙と甘辛いタレの香りが鼻腔をくすぐる。それだけで唾液の分泌が始まるのは、人間の本能に刻まれた記憶なのかもしれない。冬の夕暮れ、外気温が一桁になる頃、店内の暖かさと肉の匂いは、ビジネスという名の戦場で疲弊した身体に「ここは安全だ」と語りかけてくる。

僕が初めて焼肉を「ただの食事」以上のものとして意識したのは、独立して三年目の秋だった。取引先の社長に誘われた懇親会で、その人は黙々とカルビを焼きながら、ふいに「焼き加減って、人間関係に似てるよね」と言った。強火で一気に焼けば表面は焦げるし、弱火でじっくり焼けば時間がかかりすぎる。ちょうどいい火加減と、ちょうどいいタイミング。それが肉にも、人にも必要なんだと。

その言葉は今も忘れられない。焼肉という行為には、不思議な「共同作業」の感覚がある。誰かがタンを焼き、誰かがロースをひっくり返し、誰かが焦げそうなハラミを救出する。そこには自然と役割分担が生まれ、「ありがとう」や「これ焼けたよ」といった小さな言葉が飛び交う。会議室では決して出てこない、柔らかな空気がそこにはあった。

特にタンの焼き方には、その人の性格が出ると僕は思っている。薄切りのタンは一瞬で火が通る。せっかちな人はすぐにひっくり返してしまうし、慎重な人は焼き色がつくまでじっと待つ。そして、ちょうどいい焼き加減を見極められる人は、大抵、仕事の段取りもうまい。これは僕の中の勝手な法則だが、意外と外れたことがない。

ある交流会で出会った建築会社の社長は、ハラミを焼くのが異様にうまかった。脂が滴り落ちる直前、ほんのわずかなタイミングでひっくり返し、表面に軽く焦げ目をつける。その手際の良さに感心していると、彼は笑いながら「現場監督やってた頃の癖だね」と言った。タイミングを逃すと、すべてが台無しになる。それは肉も、工事も同じだと。

焼肉がコミュニケーションツールとして優れているのは、「待ち時間」があるからだと思う。肉が焼けるまでの数十秒、人は何をするか。スマホを見るのではなく、自然と相手の顔を見る。「最近どう?」と声をかける。その短い時間の積み重ねが、信頼を育てていく。会議のように一方的に話すのでもなく、居酒屋のように飲むことに集中するのでもなく、焼肉は「ちょうどいい距離感」を保ってくれる。

僕が最近参加した懇親会では、普段は寡黙な税理士の先生が、ミノを焼きながら子どもの頃の話をしてくれた。実家が精肉店で、小学生の頃から肉を切る手伝いをしていたという。その話を聞きながら、僕は彼の几帳面な仕事ぶりの理由を少し理解した気がした。肉を扱うというのは、命を扱うこと。そこには丁寧さと敬意が必要なのだと。

焼肉店「炎縁亭」という店が、僕の地元にある。そこは個室が多く、中小企業の社長たちがよく懇親会に使う。店主は元営業マンで、「焼肉は最高の営業ツール」が口癖だった。契約書にサインをもらうより、一緒に肉を焼いた方が信頼関係は深まると。実際、その店で交わされた商談は、不思議と長続きするという噂がある。

ロースを焼いているとき、僕はいつも少しだけ強気になる。ジュウジュウと音を立てる肉を見ていると、「明日もやれる」という気持ちが湧いてくる。それは単なる栄養補給以上のもので、もしかすると原始時代から受け継がれた、火と肉への根源的な信頼なのかもしれない。

ある日の交流会で、ちょっとした失敗があった。僕が焼いていたカルビが、うっかり網の隙間から炭の上に落ちてしまったのだ。一瞬、場が静まり返ったが、隣にいた社長が「それも焼肉の醍醐味だよ」と笑ってくれた。そのひと言で空気が和み、その後の会話は一気に弾んだ。完璧じゃないからこそ、人間らしさが出る。焼肉にはそんな寛容さがある。

脂の乗ったカルビが焼ける音、レモンの酸味が効いたタレの香り、炭火の温かさ、冷たいビールの喉越し。焼肉は五感すべてを刺激する。そして、その刺激が人の心を開く。普段は話さないような本音が、ふとした瞬間に漏れ出る。それが焼肉の魔法だ。

個人事業主や中小企業の社長にとって、孤独は避けられない。決断は常に自分ひとりで下さなければならず、責任もすべて自分が負う。だからこそ、たまには誰かと肉を囲み、他愛のない話をする時間が必要なのだ。焼肉はそのための、最高の舞台になる。

網の上で焼ける肉を見つめながら、僕はいつも思う。この瞬間、ここにいる人たちと同じ時間を共有している。同じ煙を吸い、同じ肉を食べ、同じ笑いを共有している。それは小さなことかもしれないが、ビジネスの世界で最も大切な「信頼」の土台になる。

焼肉は、パワーの源であり、コミュニケーションの触媒であり、そして何より、人と人をつなぐ温かい場所なのだ。