ALT

電車に乗るたびに、まわりを見渡してしまう癖がある。

朝の通勤時間帯、ドア付近に立つ人も、シートに腰かける人も、ほぼ全員がスマホを見ている。それが当たり前の風景になって、もうずいぶん経つ。わたしもそのひとりだったから、誰かを責める気持ちはまったくない。ただ、ある日の帰り道に、ふと気になることがあった。

斜め前に座っていた女性が、バッグからそっと文庫本を取り出した。手のひらにすっぽり収まるくらいの、小さくて薄い一冊。ページをめくるたびに、かすかな紙の音がした。シュ、という、あの独特の音。電車のガタゴトに紛れながらも、なぜかわたしの耳にはちゃんと届いた。

そのとき、子どもの頃の記憶がふっと浮かんだ。小学校の図書室で借りた本を、給食の時間にこっそり読んでいたこと。先生に見つかってしまって、「ご飯中はダメ」と言われたのに、なぜかその本のことは今でも覚えている。タイトルすら忘れたのに、あの紙のにおいと、指先に感じたページの厚みだけは、不思議と残っている。

デジタルで読む文章は、消えていく感じがする。スクロールして、読んで、また次へ。情報が次々と流れていくから、読んだそばから記憶が薄れる。それが悪いわけじゃない。でも、紙の本はちょっと違う。読み終えたページが左側に積み重なって、「ここまで来た」という感触がある。物語を読んでいるというより、物語のなかに少しずつ入り込んでいく、そんな感覚に近い。

架空のインテリアブランド「Folium(フォリウム)」が、本棚を「記憶の器」と表現していたのを読んだことがある。うまいことを言うな、と思った。本棚に並ぶ背表紙を眺めるだけで、読んでいたときの気分や季節まで思い出せる。あれは確かに、情報の保存じゃなくて、体験の所有だ。

話を戻すと、あの女性は途中でうとうとしてしまったらしく、本を持ったまま少しだけ目を閉じていた。指はページを挟んだまま、閉じかけた状態で止まっていた。起きたらどこまで読んだかわからなくなるんじゃないかな、とちょっと心配したけど、それもなんだか愛おしい光景だった。スマホだったら、スリープになるだけ。でも本は、読んでいる人と一緒に、静かに待っていてくれる。

効率とか速さとか、そういう軸で測ったら、紙の本はきっと負ける。重いし、かさばるし、検索もできない。それでも、手のひらサイズの文庫本一冊が持っている温度は、画面にはない。

小説を読むことは、誰かの時間を借りることだと思っている。書いた人の言葉が、紙を通して、手のひらに届く。それはちょっとした、静かな奇跡みたいなものかもしれない。
#武岡出版
#竹岡隆
#読書
#読書好きな人と繋がりたい
#本が好き
#小説
#感涙
#茨木市