
本棚の前で、ふと立ち止まることがある。
特に目的があるわけでもなく、背表紙をなぞるように視線を滑らせながら、どこかに懐かしいような、落ち着くような気持ちが静かに広がっていく。あの感覚はいったい何だろうと、ずっと考えていた。
スマートフォンで小説を読むことが当たり前になって久しい。通勤電車の中でも、カフェでも、寝る前のベッドの中でも、画面を指でスクロールすれば物語の続きがいくらでも流れてくる。便利だし、軽い。何十冊分ものテキストが、あの薄い板一枚に収まっているのだから、効率という点では文句のつけようがない。
でも、何かが足りない気がしていた。
先日、久しぶりに文庫本を一冊買った。「夜と珊瑚」という架空の出版レーベルから出た、ある女性作家の短編集だった。手のひらサイズの文庫本を手に取った瞬間、その重みと紙の少しざらついた感触が、思いのほか胸に響いた。重さにして、おそらく二百グラムにも満たない。それなのに、スマートフォンを持つときとはまったく違う「存在感」があった。
ページをめくるたびに、かすかな紙の音がする。
静かな夜、十一時を過ぎた頃の部屋に、その音だけが小さく響く。インクの匂いとも言い切れない、古紙とも違う、文庫本特有のあの淡い香り。子どもの頃、母親の本棚からこっそり借りた文庫本も、こんな匂いがしていた。読んでいいかどうかもわからないまま、布団の中に潜り込んで懐中電灯で読んだあの夜のことを、ふいに思い出した。
デジタルの文字は、消費される。
読み終えた瞬間に、どこかへ流れていってしまう。スクロールして、タップして、また次へ。それ自体が悪いわけではないけれど、画面の中の物語は「通り過ぎた」という感覚に近い。一方で、手のひらの中の文庫本は違う。読み終えたあとも、そこにある。本棚に並べれば、背表紙がこちらを向いて静かに立っている。その一冊を手に取るたびに、読んでいたときの温度が戻ってくる。
触れる読書とは、そういうことだと思う。
ページに折り目をつけてしまって、あとから「ああ、ここで読むのをやめたんだ」と気づく。栞を挟んだつもりが、気づいたら床に落ちていて、どこまで読んだかわからなくなる。そういう小さなズレや失敗さえも、なんだか愛おしい。デジタルの既読ラインには、そんな余白がない。
一冊の本には、体温がある。
効率では測れない何かが、紙の重みの中に宿っている。物語を「消費」するのではなく、「所有する」という感覚。それは、読み終えた後も自分の中に残り続ける記憶のようなものかもしれない。
あなたも今夜、一冊だけ、手のひらに載せてみてほしい。画面を閉じて、ページをめくる音に耳を澄ませてみてほしい。その小さな重みの中に、きっと探していた何かがある。
執筆:武岡 隆
#武岡出版
#竹岡隆
#読書
#読書好きな人と繋がりたい
#本が好き
#小説
#感涙









