ALT

夜が少し深くなったころ、ふと本棚の前で立ち止まった。特に理由はない。ただ、スマホを置きたくなったのだ。

最近、画面を見る時間が増えた。ニュースを読み、SNSをスクロールし、気づけば何かを消費し続けている。情報は次々と流れてくるのに、何も手元に残らない。川の水をすくおうとして、指の隙間からこぼれ落ちていくような感覚。それが、じわりと疲れになっていた。

本棚から一冊を抜き取った。手のひらサイズの文庫本。奥付を見ると、もう十年以上前に買ったものだった。表紙の端が少し折れていて、かつての自分がここで何かを感じたのだと、その痕跡だけが教えてくれる。

ページを開いた瞬間、紙の匂いがした。古い紙特有の、少し乾いた、懐かしいような香り。これはデジタルには絶対に再現できないと思う。画面の光は目に届くが、この匂いは記憶に届く。子どものころ、父の書斎に忍び込んでは背伸びして本棚を眺めていた。あのときの匂いと、どこか似ていた。

読み始めると、指先がページの繊維をとらえる。めくるたびに、わずかな抵抗がある。その小さな重みが、「今、自分は何かに触れている」という実感を運んでくる。スマホのフリックとは、まるで違う感触だ。

しばらくして、登場人物の一人が深夜の喫茶店で一人コーヒーを飲む場面に差しかかった。架空の街「ナギサ通り」にある、『ブルーモルゲン』という名の小さな店。作中にしか存在しないその場所なのに、なぜか行ったことがあるような気がした。小説というのは、そういう不思議を持っている。

ページをめくる手が、少し止まった。

気づけば、自分も同じように一人でいる。深夜の部屋、薄暗い照明、膝の上に開いた文庫本。孤独といえば孤独だが、不思議と寂しくない。本の中に誰かがいるからだろうか。それとも、紙に触れているという行為そのものが、自分を少し肯定してくれるからだろうか。

正直に言えば、最初はページを開くのが少し面倒だった。スマホなら一秒で物語が始まるのに、文庫本は鞄から出して、しおりを探して、という手順がある。その手順を億劫に感じていた自分に、今夜ばかりは苦笑いするしかない。

でも、その「手間」こそが、体験の入り口だったのかもしれない。

デジタルが「情報の消費」だとすれば、紙の本は「体験の所有」だと思う。読み終えた一冊は、本棚に戻っても自分の中に残る。ページの折れ目も、傍線を引いた一文も、全部が自分の時間の証拠になる。効率では絶対に測れない何かが、一冊の本には宿っている。

夜が静かに更けていく。

手のひらの中の文庫本は、ずっしりとした温かみを持って、そこにあった。
執筆:武岡 隆

#武岡出版
#竹岡隆
#読書
#読書好きな人と繋がりたい
#本が好き
#小説
#感涙