
文庫本を鞄に入れるとき、あの独特の重さを感じる。薄いようで、確かにある。手のひらに収まるその小ささが、なぜかひどく頼もしい。
先日、出張の帰りに立ち寄った駅の書店で、一冊の小説を手に取った。架空の港町を舞台にした恋愛小説で、帯には「灯台の見える街、ナヴィラ」という一文が印刷されていた。聞いたことのない地名なのに、なぜかもう知っている場所のような気がして、気づけばレジに並んでいた。
新幹線の座席に落ち着き、ページを開く。車内の空調の音、隣の席の人が静かに眠っている気配、窓の外を流れる夕暮れの田園風景。そういうものが全部、ゆるやかに遠のいていく感覚がある。スマートフォンで読むときには、なかなかそうはならない。通知が来る。画面が暗くなる。どこかで「これは画面だ」という意識が抜けない。
紙のページをめくる指先には、微細な凹凸がある。印刷のインクが乗った部分のわずかな質感。それが不思議と、文字を「読む」だけでなく「触れる」感覚を呼び起こす。触れる読書、とでも言えばいいだろうか。情報を目で追うのではなく、体ごと物語の中に入っていくような、あの感覚。
子どもの頃、母の本棚から勝手に引き抜いた文庫本を布団の中で読んでいたことを思い出す。懐中電灯を使っていたから、ページの端がほんのり温かくなっていた。内容はほとんど理解できなかったけれど、それでも本を持っているという事実だけで、なんとなく大人になれた気がしていた。あの感触は、今でも指の記憶として残っている。
デジタルの文字は、消費される。読んで、閉じて、次へ。それが悪いわけではない。ただ、手元に何も残らない。本棚に並ぶ一冊には、読んだ時間の重みが宿る。ページの折れ、うっすらとついた指の跡、栞代わりに挟んだレシート。そういうものが積み重なって、一冊の本は「体験の所有」になっていく。
ちなみに、あの夜の新幹線でひとつ失敗をした。読みながらうとうとしてしまい、栞を挟まずに本を閉じてしまったのだ。どこまで読んだか分からなくなって、結局十ページほど読み直す羽目になった。それでも不思議と、腹は立たなかった。むしろ、同じ文章をもう一度なぞる時間が、少しだけ嬉しかったくらいだ。
効率では測れない。それが、紙の本の正直なところだと思う。速く読めるわけでも、検索できるわけでも、場所を取らないわけでもない。それでも、手のひらサイズの文庫本を鞄に入れて出かける朝は、なんとなく一日の輪郭がはっきりする。
一冊の体温に、触れてみてほしい。
執筆:武岡 隆
#武岡出版
#竹岡隆
#読書
#読書好きな人と繋がりたい
#本が好き
#小説
#感涙









