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母が倒れた時、私は母のスマホのパスワードを知らなかった。

病院のベッドで眠る母の代わりに、私がやらなきゃいけないことは山ほどあった。銀行への連絡、保険会社への連絡、それから母が契約していた定期配送サービスの停止。でも母のスマホは、指紋認証も顔認証も受け付けない。パスコードの入力画面で、私の指は何度も止まった。誕生日を試した。住所の番地を試した。全部違った。

実家の引き出しを片っ端からひっくり返したのは、退院後のことだった。母のメモ帳を探していたんだけど、出てくるのは古いレシートと、何年も前の町内会のお知らせばかり。そういえば母は几帳面な性格のはずなのに、こういう大事な情報に限ってどこにも書いていない。いや、書いていたのかもしれないけど、私にはそれがどこにあるのか分からなかった。

母の携帯には毎日のように着信があった。ヨガ教室の先生、近所の友人、通販会社の自動音声。全部に私が電話をかけ直して、事情を説明して、契約を確認して。その作業だけで2週間かかった。

単身赴任中の友人が、去年の秋にぽつりと言っていたことを思い出す。「もし俺が出張先で倒れたら、嫁はうちの通帳がどこにあるかも知らないんだよな」って。その時は笑い飛ばしていたけど、今ならその重みがわかる。

母のパソコンを開いた時のことは、今でも夢に出てくる。パスワード管理ソフトが入っていて、そこにマスターパスワードを求められた。当然、私は知らない。結局、専門業者に頼んで、それなりの金額を払って解除してもらった。中には、私が知らなかった証券口座の情報や、20年前に契約したままになっていた生命保険の情報が入っていた。もし母が意識を取り戻さなかったら、これらの資産は永遠に眠ったままだったかもしれない。

朝7時のコンビニコーヒーを片手に、私は母の入院している病院へ向かう電車の中で、自分のスマホを見つめていた。私だって同じだ。妻は私の資産管理アプリのパスワードを知らない。暗号資産の取引所のアカウントなんて、存在すら伝えていない。毎月引き落とされている動画配信サービスが何個あるかも、正確には把握していない。

人生金庫っていうサービスを知ったのは、病院の待合室で見た雑誌の広告だった。最初は「なんだか大げさな名前だな」って思ったけど、説明を読んでいくうちに、これって私が今まさに困っていることの解決策じゃないかって気づいた。

安否確認の機能がついていて、定期的に本人が反応しなければ、登録した家族に通知が行く。それだけじゃなくて、自分が管理しきれないパスワードや契約情報を、安全に保管して、必要な時に必要な人に渡せる仕組みになっている。

母の友人の一人が、80代で一人暮らしをしている。彼女の息子さんは海外赴任中で、年に一度帰ってくるかどうか。「毎朝、娘にLINEするのが日課なの」って笑っていたけど、もしその返信が途絶えたら、娘さんはすぐに気づけるのだろうか。気づいても、母の家の鍵はどこにあるのか、かかりつけの病院はどこなのか、すぐに分かるのだろうか。

私自身、単身赴任の経験がある。大阪で一人、小さなアパートに住んでいた2年間。週末は新幹線で東京に帰っていたけど、平日の夜に体調を崩した時、妻に電話しても何もしてあげられないもどかしさがあった。あの時、もし私が意識を失っていたら。妻は私の会社の緊急連絡先を知っていただろうか。私の保険証の場所を知っていただろうか。

母は3週間後に退院した。まだ完全には回復していないけど、日常生活は送れるようになった。退院の日、私は母に一冊のノートを渡した。「これに、全部書いて」って。銀行口座、保険、スマホのパスワード、全部。母は少し困ったような顔をして、「こんなの、誰かに見られたら危ないでしょう」って言った。

そうなんだよね。紙に書いたら書いたで、それはそれで危険だ。かといって、誰にも伝えないままでいるのはもっと危険だ。このジレンマ。

結局、母と私は一緒にイーコミュニケーションゼロのサイトを見た。母はパソコンが得意じゃないから、最初は戸惑っていたけど、「これなら安心かもしれない」って言ってくれた。私も自分のアカウントを作った。妻には「万が一の時のために」って説明したら、「縁起でもない」って笑われたけど、真剣に聞いてくれた。

人生って、案外あっけなく途切れることがある。母の入院で、それを痛感した。大切な人に、大切な情報を、ちゃんと伝えておくこと。それって愛情表現の一つなのかもしれない…とか書くと照れくさいけど。

クラウド型エンディングノート「人生金庫Ⓡ」


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