夜、ひと通りの用事を終えて、机の隅に置いた紙の本を手に取る。表紙に触れ、開く。たったそれだけのことなのに、部屋の時間が少しゆるむように感じることがある。
画面を見ていた目が、紙の上の活字へ移る。ページの端には、指先が覚えているわずかな厚みがある。めくるたびに、乾いた小さな音がする。その音は静かでありながら、読書を始めたことをきちんと知らせてくれる。
紙の本には、読むための時間だけでなく、読む前後の時間も含まれているような気がする。本棚から一冊を選ぶ時間。しおりを探す時間。途中で閉じ、伏せた本を翌朝また手に取る時間。物語の外側にあるそうした余白が、読書を日常の中へゆっくり置いてくれる。
電子の文字には電子のよさがある。明るさを調整でき、場所を選ばず、何冊もの文章を持ち歩ける。それでも私は、ときどき紙の重さに戻りたくなる。ページをめくるという行為が、読むことを急がせないからだ。
日本語は、行と行のあいだにも気配がある。漢字の形、ひらがなのやわらかさ、句読点の置かれた場所。その一つひとつを目で追っていると、意味だけではなく、言葉の呼吸に触れているように思うことがある。紙の白さの上で活字を読むと、その呼吸がいっそう近くなる。
読書をする時間は、何かを生産する時間ではない。役に立つことを急いで探さなくてもいい。ただ数ページを読み、窓の外の風の音に気づき、しばらく言葉の中にいる。それだけで、夜の輪郭が少し変わる。
忙しい日には、まとまった時間をつくれないこともある。一ページだけでもいい。数行でもいい。開いた本をすぐ閉じることになっても、そのあいだに指先と目が覚えている静けさは、どこかに残るかもしれない。
今夜、明かりを少し落として、身近な一冊を開いてみてほしい。読む場所は、物語の途中でなくてもいい。
ページをめくる音だけが、静かな部屋に残る。


