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桶狭間の戦い、あれって兵力差10倍だったらしい。

よく「奇襲が成功した」って教科書には書いてあるけど、実際のところ信長がやったのは奇襲じゃなくて「情報戦」だったんじゃないかと最近思ってる。今川義元の軍勢が25000、織田が2500。普通に考えたら勝負にならない。でも信長は義元の本陣の位置を正確に把握してた。これ、現代で言えば競合他社の経営会議の議事録を入手してるようなもんで。

情報収集に金をかけるって、地味だし成果が見えにくい。うちも去年まで市場調査の予算を削ってたんだけど、結果的に競合の新サービスに出し抜かれて、慌てて対応する羽目になった。あの時の焦りといったら。信長は忍びを使って敵の動きを逐一報告させてたらしいけど、当時の忍びの人件費ってどれくらいだったんだろう。月給制なのか出来高払いなのか、そういうの気になる…だけど。

武田信玄の「風林火山」は有名だけど、あれって要するに状況判断のフレームワークなんだよね。「速く動くべきか、じっくり構えるべきか、一気に攻めるべきか、動かざること山の如しでいくべきか」。毎回その判断をしてる。経営判断も同じで、市場が急成長してる時は風、競合がひしめいてる時は林で様子見、チャンスが来たら火で一気に攻める。

で、信玄がすごいのは「動かざること山の如し」を実際にやり切ったこと。川中島の戦いなんて、何度も対峙しながら決戦を避け続けた。上杉謙信という強敵を前にして、無理に勝ちにいかない。これ、経営者としてはめちゃくちゃ難しい判断だと思う。株主や社員から「なんで攻めないんだ」って突き上げ食らうわけで。でも信玄は領土を着実に広げることを優先した。派手な戦果より実利。

豊臣秀吉の「中国大返し」は、スピード経営の教科書みたいな話。本能寺の変が起きたのが6月2日、秀吉が毛利と和睦したのが6月4日、京都に到着したのが6月13日。約200キロを10日で移動してる。しかも軍勢を連れて。

このスピード感が勝敗を分けた。明智光秀は「まだ秀吉は中国地方にいるはず」って思ってたわけで。情報の非対称性を利用したわけだけど、それ以前に「即断即決」ができるかどうか。秀吉は毛利との戦いを中断するという大きな決断を2日で下してる。普通の組織だったら会議に会議を重ねて、結論が出るころには機を逸してる。

うちの会社でも去年、大口クライアントから突然の発注があって、通常なら2週間かかる社内承認を3日で通した。あの時は本当に走り回った。でも結果的にそのクライアントとの取引が今年の売上の3割を占めてる。

伊達政宗の「遅れてきた天下人」って呼ばれ方、あれ本人は相当悔しかったと思う。もう20年早く生まれてたら天下取れたかもしれないのに、秀吉に従うしかなかった。でも政宗がすごいのは、その状況で腐らずに「次の時代」を見据えたこと。

仙台藩を作って、慶長遣欧使節を送って、ヨーロッパとの貿易ルートを開拓しようとした。これ、今で言えばグローバル展開の先駆けで。天下は取れなかったけど、東北に一大経済圏を築いた。「勝てないなら別の土俵で勝つ」って発想。

真田昌幸の「上田合戦」も面白い。徳川の大軍を二度も撃退してる。兵力差は10倍以上あったのに。真田がやったのは「地の利を活かす」こと。上田城の周りの地形を熟知してて、敵をわざと有利な場所に誘い込んで叩く。

これって中小企業の戦い方そのものだと思う。大企業と真正面から戦っても勝てない。でも自分のホームグラウンド、自分が詳しい領域なら勝機がある。ニッチ市場を深掘りするとか、特定地域に特化するとか。

黒田官兵衛の「水攻め」も戦略の教科書。備中高松城を攻めた時、城を直接攻めずに周りの川をせき止めて水浸しにした。相手は戦わずして降伏。これ、コストも被害も最小限。

ビジネスで言えば「競合を直接攻撃せず、市場環境を変える」みたいな話。例えばサブスクリプションモデルを導入して業界の常識を変えるとか。正面から価格競争するんじゃなくて、ゲームのルール自体を変える。

結局、戦国武将たちがやってたのは「限られたリソースでどう勝つか」の工夫。兵力、資金、時間、情報。全部が足りない中で、何を優先して、どこで勝負するか。

今の中小企業も同じ。大企業みたいに潤沢な資金はない。でも機動力はある。意思決定は速い。ニッチな市場なら勝てる。

別に戦国武将を美化するつもりはないけど、彼らの判断の速さと割り切りの良さは参考になる。完璧な情報が揃うまで待ってたら機を逸する。7割の情報で決断して、走りながら修正する。

そんな感じで、今日も僕は不完全な情報の中で決断してる…けど、まあ、なんとかなってる。たぶん。

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