
朝の通勤電車は、いつも同じ顔をしている。つり革を握る手、画面を見つめる目、耳に差し込まれたイヤホン。誰もがそれぞれの世界に沈んでいて、でもどこか似たような孤独を抱えている。そんな車内で、ふと気づいたことがある。
隣に座った若い女性が、文庫本を読んでいた。
スマートフォンでもタブレットでもなく、手のひらサイズの文庫本。表紙は少し日焼けしていて、栞代わりなのかレシートが挟まっていた。ページをめくるたびに、紙が空気を押す、あの微かな音がした。静かな車内に、ほんの少しだけ溶け込む音。それだけで、なぜか胸の奥が落ち着いた。
私が初めて小説というものに夢中になったのは、小学校の高学年のころだった。近所の図書館で借りた一冊が、あまりに面白くて返却日を過ぎてしまい、司書の方に「また来てくれたのね」と優しく笑われた記憶がある。あのときの恥ずかしさと嬉しさが、今でも本を手にするたびにどこかに残っている気がする。
デジタルの文字は、滑る。
画面の上を情報が流れていくとき、私たちはどこか受け取り手として受動的になっている。便利で、速くて、どこでも読める。それは確かだ。でも、何かが足りない。読み終えた後に手元に何も残らない、あの感覚。まるで砂をすくったような、軽さ。
紙の本は違う。
ページをめくる指先に、微かな抵抗がある。紙の繊維が指の腹に触れる、あの温かみ。インクの匂いが鼻をかすめる瞬間。読み進めるほどに右側が薄くなり、左側が厚みを増していく、あの物理的な達成感。「あと少し」と「もう少し」が、手の中で実感できる。これはデジタルには、なかなか真似できない。
架空のインテリアブランド「ペーパームーン・リビング」が、読書専用の小さな照明を出していて、それを使って夜に文庫本を読むのが最近の楽しみになっている。光が柔らかくて、本の白いページがほんのり温かく見える。ただそれだけのことなのに、一日の疲れが静かに溶けていく感じがする。
電車の中で文庫本を読むことは、ある種の「宣言」でもあるかもしれない。急がなくていい、と。効率だけが正解じゃない、と。手のひらに収まる小さな一冊が、そういうことを黙って教えてくれる。
あの女性は、終点のふたつ手前でそっと本を閉じた。栞のレシートを丁寧に挟み直して、鞄にしまった。その仕草が、どこか儀式めいていて美しかった。読書が終わったのではなく、一度そこに「栞を立てた」という感じ。続きは、また今夜。
一冊の本には、体温がある。読んだ人の時間が染み込んで、少しずつ自分のものになっていく。それを「所有する」という体験は、情報を消費することとは、まるで別の話だ。
スマホで読む物語も、もちろん悪くない。でも、たまには手のひらの中に、紙の重みを感じてみてほしい。その小さな温かさが、思いのほか、長く残るから。
執筆:武岡 隆
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