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朝の通勤電車は、いつも少しだけ騒がしい。ドアが閉まる音、誰かのイヤホンから漏れる低音、隣に立つ人の息遣い。そんな雑音の中で、私はずっと同じことを繰り返してきた。スマートフォンの画面をひらき、流れてくる文字を目で追う。読んでいるのか、消費しているのか、自分でもよくわからないまま、駅のホームに降り立つ。

ある朝、鞄の底から一冊の文庫本が出てきた。妻が「読み終わったから」と無言でそっと差し出したもので、タイトルは『夜明けの螺旋』という小説だった。架空の港町を舞台にした、静かな恋愛譚。受け取ったとき、彼女はコーヒーカップを両手で包んだまま、ほんの少しだけ目を細めた。それだけだった。言葉はなかった。

電車の中で、その文庫本をひらいた。

手のひらにおさまるその薄さと重さ。ページの端がわずかに反り返っていて、誰かが何度も読んだことがわかる。紙の匂いがした。古本屋の奥にあるような、少し甘くて乾いた、あの独特の香り。子どもの頃、父の書斎に忍び込んでは背表紙を眺めていた記憶が、不意によみがえった。あの頃は文字より、本の「物体としての存在感」に惹かれていたのだと思う。

画面を滑る文字と、紙の上に刷られた文字は、見た目こそ似ていても、まるで違う。スクロールするとき、指は何も感じない。でも文庫本のページをめくるとき、紙の端が指先をかすめる。その一瞬の抵抗感が、なぜかひどく心地よかった。読んでいる、という実感。体験が、確かに手に宿っている感覚。

デジタルが「情報の消費」だとすれば、紙の本は「体験の所有」なのだと、そのとき初めて腑に落ちた。

小説の中で、主人公が波止場に立つ場面があった。潮の匂い、遠くで鳴る船の汽笛、夕暮れに染まる空。文字を読んでいるのに、光と風を感じた気がした。これはスマホでは起きなかったことだ。なぜだろうとしばらく考えたが、答えは出なかった。ただ、紙の本には「重み」がある。物理的な重さだけでなく、一冊という単位に込められた誰かの時間と意図の重さ、とでも言えばいいのか。

ちなみに、あまりに読み込んでしまい、乗り換え駅をひとつ通過した。我ながら情けないが、それほど引き込まれていたということにしておきたい。

効率では測れない豊かさがある。通勤という隙間時間を、情報処理に使うのではなく、一冊の体温に触れることに使う。それだけで、一日の始まりが少し違って見えてくる。

手のひらサイズの文庫本は、胸ポケットにもすっぽり入る。改札を抜けながら、今日の帰り道も読もうと思った。
作家:武岡 隆 Instagram

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