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最近、本を買ったのはいつだっただろう。

スマホの画面を指で滑らせれば、世界中の文章が読める時代になった。通勤電車の中でニュースを読み、寝る前にSNSを眺め、仕事の合間に検索して情報を集める。便利だし、速いし、場所も取らない。けれど、ふとした瞬間に気づくんだよね。読んだはずなのに、何も残っていないことに。

去年の秋、取引先の社長に本をもらった。ハードカバーの小説で、タイトルも作家の名前も知らなかったけれど、手渡された瞬間に感じたのは重さだった。物理的な重さ。それが妙に新鮮で、その夜、久しぶりに紙の本を開いた。ページをめくるたびに、かすかな音がする。紙が指に吸いつくような感触。本を持つ手の角度を変えると、文字に当たる光の加減も変わって、同じページなのに印象が違って見える。

デジタルの文字は滑る。画面の中で完結していて、触れているようで触れていない。スクロールすれば次々と情報が流れてきて、読んだ気になるけれど、体には何も残らない。効率はいい。圧倒的に速い。でも、所有している感覚がないんだよね。読んだ記憶が、どこか他人事みたいに薄れていく。

紙の本は違う。

ページをめくる指先の感覚、本を閉じたときの「パタン」という音、栞を挟んだときの厚みの変化。それらすべてが体験として積み重なっていく。読み終えた本を本棚に並べると、背表紙を見ただけで「ああ、あのシーンはこのあたりだったな」と思い出せる。物理的な位置と記憶がリンクしている感じ。デジタルにはそれがない。

思い出すのは、学生時代に通っていた古本屋のこと。店主のおじさんが「本はね、匂いで選ぶんだよ」と言っていた。当時は意味がわからなかったけれど、今ならわかる気がする。新刊の本には新刊の、古本には古本の匂いがあって、それが読書体験の一部になっている。カフェで読んだ本にはコーヒーの香りが染みついていたりして、後から開くとその時間ごと蘇ってくる。

情報を得るだけなら、デジタルで十分だ。速報性も検索性も、紙には勝てない。でも、情報の消費と体験の所有は、まったく別のものなんだよね。

本を読むという行為は、単に文字を追うことじゃない。ページをめくる手の動き、紙の手触り、本の重さを支える腕の疲れ、読み進めるにつれて厚みが右から左へ移っていく感覚。それら全部が組み合わさって、ひとつの体験になる。デジタルは「読んだ」という結果だけを残すけれど、紙の本は「読んでいる」というプロセスそのものを体に刻んでいく。

ある編集者が言っていた。「本は読むものじゃなくて、触れるものだ」って。最初は大げさだと思ったけれど、今はその意味がわかる。一冊の本には、著者の思考だけじゃなくて、装丁デザイナーの選んだ紙質、印刷所の調整したインクの濃さ、製本職人の仕上げた背の固さ、すべてが詰まっている。それは情報じゃなくて、体温に近い何かなんだよね。

昼休みに立ち寄った書店で、ふと手に取った小説があった。表紙の手触りが良くて、パラパラとめくってみると、紙の質感が指になじむ。中身をろくに確認せずに買ってしまった。家に帰って読み始めたら、思いのほか面白くて、気づいたら夜中の二時を回っていた。スマホなら途中で通知が来て集中が途切れていただろうけれど、紙の本には邪魔するものが何もない。

効率で測れないものがある。一冊の本を最後まで読み切ったときの充足感は、何ページ分の情報を得たかじゃなくて、どれだけの時間をその本と過ごしたかで決まる。ページの端が少し折れていたり、コーヒーのシミがついていたりするのも、全部その本との歴史になる。

デジタルは便利だ。否定するつもりはない。でも、たまには紙の本を手に取ってみてほしい。情報を消費するんじゃなくて、体験を所有する感覚を思い出してほしい。

本棚の隅に並んだ本たちは、ただの情報の集積じゃない。それぞれが、読んだときの季節や場所や気持ちを記憶している。デジタルの文字が流れ去っていく中で、紙の本だけが、そこに在り続けてくれる。

指先が覚えている。一冊という名の体温を。

作家・武岡 隆(RYU TAKEOCA)
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