
妻が眠ってから、リビングにひとり座ることがある。時計の針が深夜0時を過ぎたあたり、家の中がしんと静まり返る時間帯だ。そのとき私は、決まって本棚の前に立つ。スマホを手に取ることもなく、ただ背表紙を指でなぞりながら、今夜の一冊を選ぶ。
画面の光は、少し疲れる。
デジタルの文字は確かに便利だ。どこでも読めるし、何百冊でも持ち歩ける。でも、なぜだろう。読み終えたあとに何かが残らない気がするのは。情報は入ってくる。物語も理解できる。それなのに、指先に何も残っていない。あの感覚がずっと引っかかっていた。
ある夜、手のひらサイズの文庫本を久しぶりに開いた。カバーは少し日焼けしていて、ページの端が柔らかく反り返っている。印刷インクの、かすかに乾いた香り。それだけで、不思議と息が深くなった。ページをめくる指先に、紙の微細な凹凸が伝わってくる。薄いようで、確かな重みがある。一枚一枚に、時間が積もっているような感触だ。
思い出すのは、子どもの頃のことだ。父親が毎晩、文庫本を読んでいた。ソファの端に座って、膝の上に本を置いて、ときどきページをめくる音だけが聞こえていた。あの音が、なぜか「家にいる」という安心感と結びついている。活字を追っていたのか、それとも単にあの紙の音を聞きたかったのか、今となってはわからない。
妻も、本を読む。
彼女が読むのは決まって週末の午後で、ソファの隅にひっそりと丸まるようにして小説を開いている。先日、お茶を持っていったとき、受け取る際にページから目を離さなかった。カップを受け取る手だけがこちらに伸びてきて、視線は本の中にあった。なんとも言えない、愛おしい仕草だった。思わず「ありがとうくらい言えよ」と心の中でひとりツッコんだが、声には出さなかった。出せるわけがない。あの顔を見たら。
私たちは、感謝を言葉にするのが得意ではない。長く一緒にいると、「ありがとう」という言葉が照れくさくなってくる。言いたいのに、なんとなく流れてしまう。そういう夫婦は、きっと少なくないと思う。
だから私は、本を贈ることにしている。
先月、「夜想文庫」という小さな出版社から出た短編小説集を、何も言わずに彼女の枕元に置いた。翌朝、何も言われなかった。でも夜、彼女がそれを読んでいた。それだけでよかった。言葉にならない気持ちを、一冊の本が静かに運んでくれる気がした。
スマホで読む物語には、それができない。画面は消えてしまう。でも本は、残る。本棚に並んで、その人の時間の一部になる。デジタルが「情報の消費」だとすれば、紙の本は「体験の所有」だと思う。読み終えた後も、その重みが手に残っている。一冊という名の体温、とでも言えばいいのか。
効率では、絶対に測れないものがある。
執筆:武岡 隆
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