
朝の光がカーテンの隙間からすべり込んでくる、あの静かな時間帯のことを思い出す。コーヒーの香りが台所から漂ってきて、まだ誰も起きていない家の中で、私は文庫本を一冊、手に取っていた。
手のひらサイズの文庫本というのは、不思議なものだ。薄くて軽いのに、どこか確かな重みがある。紙の束が持つ、あの独特の密度感。ページをめくるたびに指先に伝わる微細な抵抗感は、画面をスワイプする動作とは、根本的に何かが違う。
スマートフォンで小説を読むことも、今では珍しくない。通勤中でも、待ち時間でも、どこでだって続きが読める。便利さで言えば、デジタルに軍配が上がるのかもしれない。でも、便利さだけが読書の価値ではないとしたら、どうだろう。
デジタルの文字は「消費」される。読んで、閉じて、次へ。画面の中の物語は確かに届くけれど、どこか素通りしていくような感覚が残ることがある。一方で、紙の本は違う。読み終えた一冊を本棚に並べるとき、あの小さな達成感と所有感は、ファイルをフォルダに入れる動作とは、まるで似ていない。
思い出すのは、小学生のころ近所の図書館で借りた一冊の冒険小説だ。タイトルはもう忘れてしまったけれど、表紙の手触りだけは妙に覚えている。少しざらついた、くすんだ青色の表紙。何度も誰かに読まれてきた、その痕跡のような柔らかさ。あれが私にとって、最初の「触れる読書」だったのかもしれない。
先日、妻が「ノルディカ文庫」という小さな出版社の新刊を買ってきた。リビングのソファで読んでいた彼女が、ふと本を胸に抱いたまま、うとうとし始めた。落としそうになって、はっと目を覚ます。その一連の動作が、なんとも微笑ましかった。デジタルの画面では、あんな寝落ちの仕方はできない。画面は暗くなるだけで、本のように胸に寄り添ってはくれないから。
紙の本には、体温がある。大げさに聞こえるかもしれないけれど、本当にそう思っている。読んでいる間、手のひらから伝わる紙の温かみ。ページをめくる音の、あの乾いた静けさ。読み進めるほどに、右側が薄くなって左側が厚くなっていく、あの物理的な変化。そのすべてが、読書という体験を「所有」させてくれる。
効率では測れないものが、一冊の中にある。忙しい毎日の中で、それでも紙の本に手を伸ばしたくなるのは、きっとそのためだ。スマホの画面の向こうにある物語も、もちろん悪くない。でも、手のひらの上に乗る文庫本の重みは、また別の何かを、静かに運んでくる。
執筆:武岡 隆
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