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夕暮れどきの光が、窓ガラスを橙色に染める時間帯がある。仕事を終えて帰宅し、コートを脱ぐより先に手を洗い、それからようやく自分の時間が始まる。その静かな移行の瞬間に、私はいつも本棚へと手を伸ばす。

文庫本を取り出すとき、あの感触がある。手のひらにすっぽりと収まる、あの重さ。薄くもなく、重くもない。ページの端が少し黄ばんでいる古い小説でも、買ったばかりの真白な一冊でも、手に持った瞬間に何かが変わる気がする。これは気のせいではないと、長年本を読んできた私には確信に近いものとして感じられる。

デジタルの画面は、文字を「滑らせる」。スクロールするたびに言葉が流れ、読んだそばから消えていく。情報として処理されていくその感覚は便利だが、どこか空虚でもある。紙の本はそうじゃない。ページをめくるという行為そのものに、微かな抵抗がある。指先が紙の繊維をつかむ、あのわずかな引っかかり。それが「今、自分はここを読んでいる」という確かな証になる。

子どもの頃、母が夜に読んでいた文庫本を思い出す。枕元の小さな灯りの下で、ページをめくるたびに立つ微かな風が、私の頬をかすめていた。眠れない夜に布団の中で拾い読みした、あの紙の冷たさと温もりが混ざり合った感触は、今でも指が覚えている。

先週、近所の古書店「ブックスタンド・ハルノ」で、一冊の小説を手に取った。背表紙が少し反り返った、昭和の香りが漂う文庫本だ。ページを開くと、かすかにカビと木の混じったような古い紙の匂いがした。不思議と、嫌ではない。むしろその匂いごと、誰かの読書の時間を引き継いだような気持ちになった。

ソファに腰を下ろし、読み始めて三十分ほど経ったころ、気づいたら眼鏡を額に乗せたまま本を持っていた。レンズ越しでも裸眼でもない、なんとも中途半端な状態で二ページほど読み進めていたらしい。文字がぼやけているのに気づかなかったのか、気づいていたのに止まれなかったのか。自分でも少し可笑しくなった。

紙の本には、そういう時間の忘れ方がある。効率とは無縁の、ただそこにいるだけの時間。一冊を読み終えたとき、本を閉じる感触がある。表紙が手のひらに当たる、あの平たくて確かな重み。「読んだ」という事実が、物体として手の中に残る。データには、この感覚がない。

小説を読むということは、物語を消費することではなく、その世界に一時だけ住むことだと思っている。そして紙の本は、その住処に「形」を与えてくれる。画面の中の文字は読み終えれば消えるが、手のひらサイズの文庫本は、読み終えても本棚に立ち続ける。背表紙がそこにある限り、あの時間は消えない。

触れる読書とは、記憶を積み重ねることかもしれない。一冊ずつ、指先に刻まれていく体温のようなもの。それを持ち続けることが、私にとっての本を読む理由だ。
執筆:武岡 隆

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