ALT

文庫本を開くとき、いつも少しだけ緊張する。

ページの端が指先に触れる感覚。紙の繊維がかすかにざらついて、でも不思議とやさしい。あの感触って、なんと表現すればいいんだろうといつも思う。冷たくもなく、温かくもなく、でも確かに「ある」感じ。手のひらに収まるサイズの文庫本は、ただの読み物じゃなくて、なんというか、小さな生き物みたいだと思うことがある。

最近、夜の十一時すぎに読み始めた小説がある。

架空の港町を舞台にした恋愛小説で、「ナルシス文庫」というレーベルから出ている一冊。帯に書かれたあらすじを読んで、正直そこまで期待していなかった。でも読み始めたら止まらなくて、気づいたら深夜二時を過ぎていた。翌朝、目の下にくっきりクマができていて、マスカラを塗りながら「あ、やってしまった」と小声でつぶやいた。これ、完全に自業自得だけど、後悔はゼロだった。

スマホで読む電子書籍も、もちろん便利だ。

移動中でも、暗い部屋でも、荷物が増えなくても読める。それは本当にありがたい。でも、何かが違う気がずっとしていた。画面をスクロールするとき、文字が視界を「通過していく」感じがする。読んでいるというより、情報を処理している、みたいな。物語が体に残らないまま、どこかへ流れていってしまうような感覚。

紙の本は、違う。

ページをめくるたびに、少しだけ重さが変わる。読み終えたページが左手に積み重なって、「ここまで来た」という実感が手のひらに宿る。それって、効率とか利便性とか、そういう言葉では全然測れないものだと思う。体験を、所有している感覚。

子どものころ、祖母の家に古い文庫本がたくさん並んでいた。

背表紙が日焼けして、色がすっかり薄くなったもの。ページを開くと、かすかに古い紙の匂いがした。甘くも苦くもない、でも不思議と懐かしい香り。あの匂いをかぐたびに、なんだか背筋がすっと伸びる気がした。本が持っている時間の重さ、みたいなものを、子どもながらに感じていたのかもしれない。

十月の終わり、窓の外からかすかに金木犀の残り香がしていた夜。

ブランケットを膝にかけて、ホットミルクを横に置いて、あの小説の続きを読んだ。主人公が港のベンチに座って、遠い船を見つめるシーン。そのとき窓の外で風が鳴って、なんとなく物語の中にいるような気がした。画面の光じゃ、きっとこの感覚は生まれなかった。

紙の本には、体温がある。

読んだ人の時間が染み込んで、次の人へと手渡されていく。一冊の小説が、誰かの夜と誰かの朝をつないでいる。そう思うと、手のひらサイズの文庫本が、少しだけ特別なものに見えてくる。
#武岡出版
#竹岡隆
#読書
#読書好きな人と繋がりたい
#本が好き
#小説
#感涙
#茨木市