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四月の夕暮れ、窓の外では風が桜の残り花を揺らしていた。コーヒーの湯気がゆっくりと立ちのぼる、そんな時間に、私はふと一冊の本を手に取った。
スーツやコートのポケットにも入るくらいの大きさ
、A6判の手のひらサイズの文庫本。それはインテリア誌で見かけた「ブックシェルフ・ルームス」というブランドのディスプレイで知った一冊で、装丁の淡い青が妙に気になって、翌日書店に足を運んで買ったものだった。
スマートフォンの画面を指で滑らせる感覚と、紙のページをめくる感覚は、似ているようで、まったく違う。デジタルの文字は消費される。読んだそばから流れていく。けれど紙は、手に残る。ページの角が少しだけ折れていたり、うっかりコーヒーをこぼしてにじんだ跡が残ったりする。それさえも、その本と過ごした時間の証になる。
子どもの頃、母の本棚に並んでいた文庫本の背表紙を、よく指でなぞっていた。タイトルの意味もわからないまま、ただその紙の感触が好きだった。あの棚の前に立つたびに、なんとなく「大人の世界」に触れているような気がしていた。あれは触れる読書の、最初の記憶だったのかもしれない。
紙の本を手に取り、じっくり読む時間の心地よさが、あらためて見直されている
——そんな空気が、2025年から2026年にかけて静かに広がっている。情報を効率よく「消費」するためにスマホを開く日々の中で、一冊の小説にじっくり向き合う時間を、もう一度取り戻したいと思っている人が増えているのだ。
手のひらサイズの文庫本には、独特の重みがある。軽いのに、重い。そのちょうどよい矛盾が、不思議と読む気持ちを落ち着かせる。ページをめくるたびに、紙が空気を押す、かすかな音がする。静かな部屋ではそれがよく聞こえる。香りもある。古本屋で買った文庫本には、少しだけ時間の匂いがした。新刊には、インクと紙が混ざった清潔な香りがある。どちらも、画面からは決して漂ってこないものだ。
先日、妻が読んでいた小説を何気なく手に取ったとき、彼女がそっとしおりを挟んで「まだ途中だから」と笑いながら受け取った。そのページには、小さな付箋がいくつか貼ってあった。どこが気に入ったのかは聞かなかったけれど、その付箋の数だけ彼女の心が動いたのだと思うと、なんだか微笑ましかった。——ちなみに私はそのとき、うっかり栞を別のページに挟み直してしまっていたことを、後になって気づいた。
デジタルが「情報の消費」であるなら、紙の本は「体験の所有」だと、私は思っている。読み終えた一冊は本棚に残り、その背表紙を見るたびに物語の余韻が戻ってくる。電子書籍のライブラリに並んだタイトルの列とは、やはり違う。
小さなカバンにもすっぽりと収まり、読書の機会を広げてくれる
手のひらサイズの文庫本は、通勤の電車の中でも、休日の午後の窓辺でも、旅先のホテルの朝でも、いつでもそこにある。場所を選ばない、でも場所の記憶を刻む。
触れる読書は、効率では測れない。それは、一冊という名の体温に触れる贅沢だ。今夜、スマホを少し遠ざけて、手のひらの上に物語を開いてみてほしい。紙が指に伝える、あの静かな温かさを、きっとあなたも知っているはずだから。
執筆:武岡 隆
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