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朝の家事がひと段落した、午前10時すぎ。洗い物を終えた手がまだ少し湿っていて、そのままキッチンカウンターに置いてあった文庫本を手に取った。
A6判、105mm × 148mm。
たったそれだけの大きさなのに、掌に収まった瞬間、なんとなく息をついた。

スマホを開けば、いつでも何百冊でも読める時代だ。アプリを起動して、画面をスクロールして、文字を目で追う。それ自体は悪くない。でも、どこか「消費している」感覚がある。情報を処理しているような、流れ作業のような。読み終わっても、手元に何も残らない。

紙の本は違う。

文字と行間のゆとりが、内容への集中を自然と生み出す。
ページをめくるたびに、わずかな抵抗がある。紙の繊維が指先に触れる感触、乾いた音、インクのかすかな匂い。これが「触れる読書」だと思う。画面では絶対に再現できない、五感を通じた体験。

子どもの頃、母の本棚から勝手に持ち出した文庫本を布団の中で読んでいた記憶がある。懐中電灯を使って読んでいたら、途中で電池が切れて真っ暗になった。続きが気になりすぎて眠れなくて、朝4時に起き出してリビングの電気をつけたこと。あの「続きへの焦り」は、スマホの読書では一度も感じたことがない。

手のひらサイズの文庫本は、片手でも読みやすい。
だから、子どもが膝で寝てしまったときも、コーヒーを片手に持ちながらでも、読み続けられる。ソファで読んでいた小説のページを、うっかり子どもの寝返りで折ってしまったことがある。少し凹んだけれど、その折り目さえも「読んだ証拠」になる気がして、結局そのままにしておいた。

最近、「ノルトブック文庫」というシリーズが静かに話題になっている。北欧の翻訳小説を中心に揃えた架空のレーベルではあるけれど、ああいう、手触りにこだわったシリーズが増えてきているのは確かだ。カバーの質感、紙の厚み、フォントの選び方。そういう細部が、一冊の「体温」を作っている。

デジタルが「情報の消費」だとすれば、紙の本は「体験の所有」だ。読み終えた小説を本棚に並べたとき、背表紙を見るだけで物語の空気が蘇る。あのとき何を感じたか、どの場面で泣きそうになったか。本は記憶の器でもある。

文庫本は、単行本に比べて価格を抑えて購入できる点も利点だ。
気軽に手に取れて、でも読み終えたあとには確かな重みが残る。効率では測れないものが、あの小さな一冊の中にある。

午後の光が窓から差し込んで、文庫本の白いページを照らしていた。スマホの通知音が鳴ったけれど、今日は無視した。もう少しだけ、この続きを読んでいたかったから。
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