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五月の午後三時すぎ、窓から差し込む光がデスクの端をじわりと照らしていた。仕事の隙間に生まれた、珍しいほど静かな時間。コーヒーを一口飲もうとしたら、カップの縁が唇より先に鼻に当たった。ちょっと待て、と心の中でツッコんだ。そういう些細なズレが、妙にこの日の記憶に刻まれている。

翼、29歳。来月には30になる。

べつに節目を大げさに捉えるつもりはない。ただ、あの静かな午後から、なんとなく考え続けていることがある。人生って、選択の集積じゃないか、ということだ。

思えば、小学四年生のとき、担任の先生に「絵を描くのが得意だね」と言われた翌日、僕は美術クラブに入った。誰かに強制されたわけじゃない。ただ、あの一言がきっかけで、自分の手を信じるようになった。その選択が、のちにデザインの仕事に就く遠因になったかもしれない。因果なんて証明できないけれど、点と点はどこかでつながっている気がしてならない。

問題は、選択のほとんどが「なんとなく」で行われていることだ。

友人の誘いで入ったサークル、深く考えずに更新した賃貸契約、勢いで断った転職の話。どれも「その場の空気」に流されていた。悪い結果になったとは言わない。でも、振り返ると自分の意志がどこにあったのか、輪郭がぼやけている。

内省、という言葉が最近やけに刺さる。

SNSを閉じて、ノートを開く。架空のカフェブランド「NORDA ROAST」の豆で淹れた、少し深煎りの香りが鼻をくすぐる中で、ただ書く。今日何を選んだか。なぜそれを選んだか。誰かの目を意識していなかったか。そうやって文字にすると、自分がいかに外側の基準で動いていたかが浮かび上がってくる。

選択は、積み重なって現在をつくる。

これは構造の話だ。一つひとつの選択は小さくても、方向が少しずれれば、十年後には全然違う場所に立っている。コンパスの針を1度ずらして歩き続けたら、どこに着くか。それが人生の怖さでもあり、面白さでもある。

大切なのは、選択を「正しいかどうか」で裁くことじゃない。「自分の軸から出ているか」を問うことだと思う。誰かに認められたいから選んだのか、それとも本当に自分がそこに向かいたいのか。その違いは、選んだ直後より、少し時間が経ってから体に滲み出てくる。

時間に余裕があるとき、人はようやく自分の声を聞ける。

忙しさに追われているあいだは、選択の重さに気づきにくい。でも、あの五月の午後みたいな静けさの中でこそ、過去の選択たちが静かに語りかけてくる。あれはよかった、あれは誰かの期待に応えようとしていた、と。

視点が変わる瞬間がある。

自分の選択を「結果」で評価するのをやめて、「プロセス」で見直したとき、後悔が少し軽くなった。選んだことに意味があったのか、ではなく、どんな自分として選んだのか。その問いに変えるだけで、過去が少し違って見える。

30歳まで、あと一ヶ月。今日もまた、何かを選ぶ。それだけは確かだ。
#土曜日
#内省
#人生の選択
#思考整理
#振り返り
#本質

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忙しさの中で見落としているものは、意外と多いものです。

ほんの少し立ち止まり、余白を持つだけで、
見えるものや判断の精度は変わってきます。

もし、こうした視点に価値を感じるのであれば、


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