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九月の最初の火曜日。カーテンを開けると、空がまだ少し薄い水色をしていた。夏の名残りがあるのに、朝の空気だけはもうどこかひんやりとしていて、肌に触れた瞬間に「あ、季節が動いているな」と思った。

コーヒーメーカーが低い音を立てて動き始める。豆を挽くあの少し荒っぽい振動音が、毎朝の合図みたいになっている。翼はカップを棚から取り出しながら、頭の中でぼんやりと今日のタスクを並べようとしていた。でも、うまく並ばない。仕事のメール、先週から持ち越した資料、夕方の打ち合わせ——全部が同じ重さで浮かんでいて、どれから手をつければいいか、正直よくわからなかった。

こういう朝は、珍しくない。

週が動き始めると、やるべきことが一気に押し寄せてくる感覚がある。月曜日はなんとか乗り越えたのに、火曜日になると急に現実感が増してくる。あれもこれもと考えているうちに、気持ちの整理がつかないまま時間だけが過ぎていく——そんな経験、思い当たる人も多いんじゃないかと思う。

翼が子どもの頃、母親がよく言っていた言葉がある。「一度に全部食べようとしたら、喉に詰まるでしょ」。当時は夕食の話だと思っていたけれど、今になってみると、何かもっと広い意味があったのかもしれない、とふと思う。

コーヒーが落ち終わった。「HOLT BREW」と書かれた小さなロゴのカップに注ぐと、湯気がゆっくりと立ち上った。両手で包むと、じんわりと温かい。一口飲んで、少しだけ息をついた。

そのとき翼は、今日やることをひとつだけ選ぶことにした。

全部じゃなくていい。ひとつずつ、でいい。先週から気になっていた資料の冒頭だけ書く。それだけ。それ以外は、そのあとで考えればいい。そう決めると、不思議と肩のあたりが少し軽くなった気がした——気のせいかもしれないけれど、そういう気のせいは、わりと大事だと思っている。

心の余裕というのは、時間が増えたときに生まれるものじゃない、と最近よく感じる。むしろ、「今日はこれひとつでいい」と決めた瞬間に、少しだけ生まれるものだ。やることを減らしているわけじゃなくて、視野を絞っているだけ。それだけで、不思議と前に進める。

ちなみに、今朝の翼はカップをテーブルに置こうとして、危うくノートの上にこぼしそうになった。なんとかセーフだったけれど、心の余裕を語る直前の出来事としては、なかなかタイムリーだったと思う。

窓の外では、通りを歩く人の足音がぽつぽつと聞こえてくる。みんな、それぞれのペースで今日を始めているんだろう。

全部できなくても、大丈夫。まずは目の前のひとつから——今日もそこから始めれば、それで十分だ。
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こういう時間は、特別なものではなく、
ほんの少し意識するだけで日常の中に生まれるのかもしれません。

忙しさの中で見落としていたものに気づくと、
時間の流れは少しだけやさしくなる気がします。

もし、こうした“静かな余韻”に少しでも価値を感じるなら、
ぜひ武岡出版の作品もご覧ください。