
土曜の朝、六時半。カーテンの隙間から差し込む光が、フローリングの上にうっすらと白い線を引いていた。コーヒーメーカーがぽつぽつと音を立てながら、部屋に深煎りの香りを広げていく。ベランダの外では、まだ鳥の声しか聞こえない。こういう静けさの中でだけ、自分の思考がちゃんと動き始める気がする。
僕は「Holt」というインテリアブランドのマグカップを両手で包みながら、ぼんやりと考えていた。人生って、大きな決断でできているわけじゃないんだな、と。
二十九年間を振り返ってみると、節目らしい節目はそれほど多くない。就職、引っ越し、いくつかの別れ。でも実際のところ、今の自分を形づくっているのは、そういった「イベント」よりも、もっと地味で細かい選択の堆積だと思っている。今日は早起きするかどうか。この本を読み続けるかどうか。あの人の話をちゃんと聞くかどうか。
子どものころ、父親が「迷ったら、めんどくさい方を選べ」とよく言っていた。当時はまったく意味がわからなかった。なぜわざわざしんどい方を選ぶのか。でも二十代後半になって、少しずつその言葉が腑に落ちてきた。楽な選択は積み重なると、「何もしなかった時間」になりやすい。めんどくさい方の選択は、たいてい何かを残す。
内省というと大げさに聞こえるかもしれないが、僕がやっていることはそんな大層なものじゃない。週に一度か二度、こうして静かな朝に座って、最近の自分の選択を軽くなぞるだけだ。あのとき断ったのはなぜか。あの返信を後回しにしたのはなぜか。そういう小さな問いを立てていくと、自分の行動パターンが見えてくる。
先週、後輩にアドバイスを求められた。真剣な顔で話を聞いていたつもりだったが、途中でコーヒーを取りに立ち上がってしまった。戻ってきたら後輩の話がひと区切りついていて、「あ、いや、もう大丈夫です」と言われてしまった。完全に間の悪いタイミングだった。自分の中で小さくツッコんだ。──「聞く気あったんか、翼よ」と。
あの瞬間の選択は、明らかに失敗だった。でも、それに気づいていること自体が、次の選択を変える。
人生は、選択の連続だという言い方は正しいけれど、少し誤解を招く表現でもある。選択というと、何か大きな分岐点を想像してしまいがちだ。でも実際は、ほとんどの選択が意識されないまま通り過ぎていく。だからこそ、たまに立ち止まって「自分はなにを選んできたか」を確認することに意味がある。
マグカップの中のコーヒーが、少し冷めていた。窓の外の光が、さっきより角度を変えて床を照らしている。六時半だったはずが、いつの間にか七時を過ぎていた。
選択を振り返ることは、過去を悔やむためじゃない。自分の傾向を知って、次の一手を少し意識的にするためだ。そう考えると、この土曜の朝の静けさも、ちゃんと意味のある時間になる。
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忙しさの中で見落としているものは、意外と多いものです。
ほんの少し立ち止まり、余白を持つだけで、
見えるものや判断の精度は変わってきます。
もし、こうした視点に価値を感じるのであれば、


