ALT

カーテンの隙間から、五月の朝の光が斜めに差し込んでいた。まだ七時前。外はすでに明るいのに、部屋の空気だけが一段ひんやりしていて、その温度差がなんとなく心地よかった。

コーヒーをいれながら、ふと思った。今朝、豆を挽くかインスタントにするか、一瞬だけ迷った。ほんの二秒の話だ。でも、そういう小さな迷いを、僕は毎日何十回も繰り返している。

「選択」というと、どうしても人生の岐路みたいな場面を思い浮かべてしまう。転職するか、しないか。続けるか、やめるか。でも実際のところ、人生を形づくっているのは、そんな大きな決断よりも、毎朝の些細な積み重ねのほうが多いんじゃないかと最近感じている。

少し前に、部屋の棚を整理していたら、中学生のころに書いた日記が出てきた。読み返すのが少し恥ずかしくて、三行ほどで閉じた。でも、そのたった三行に「将来は建築の仕事がしたい」と書いてあった。今の仕事とはまったく関係ない。あの選択はどこへ行ったのか、と思いながら、それでも今の自分が嫌いではないことに気づいた。

内省というのは、自分を責めることじゃない。選択の跡をたどることだと思う。

コーヒーカップを両手で包んだとき、陶器のぬくもりが手のひらにじわりと伝わってきた。インテリアブランド「ノルテカ」のシンプルな白いカップで、去年の秋に何気なく選んだもの。あの日、棚に並んだいくつかの候補の中から、なぜこれを手に取ったのかはもう覚えていない。ただ、今こうして毎朝使っているという事実がある。

選択には、理由がないものも多い。直感で決めて、気づいたら習慣になっている。そういう選択のほうが、実は自分の本音に近いのかもしれない。

29歳という年齢は、なんとなく「そろそろ固まってきた」気がする年齢だ。でも、振り返ると固まっているのではなく、無数の小さな選択が積み上がって、今の輪郭ができているだけだと思う。輪郭は、まだ変わる。

ちなみに今朝、豆を挽くほうを選んだ。特に理由はなかった。ただ、挽いているときのあの低い音と、粉が落ちるときのかすかな香りが好きで。そういう、説明しにくい「好き」の積み重ねが、人生の質感をつくっているような気がしている。

視点を少し変えると、選択とは未来を決めることではなく、今の自分を確認することだ、とも言えるかもしれない。何を選ぶかより、なぜそれを選んだかを問い直すこと。それだけで、次の選択が少し変わる。

土曜の朝はそういうことを、静かに考えるのにちょうどいい。
#土曜日
#内省
#人生の選択
#思考整理
#振り返り
#本質

———

忙しさの中で見落としているものは、意外と多いものです。

ほんの少し立ち止まり、余白を持つだけで、
見えるものや判断の精度は変わってきます。

もし、こうした視点に価値を感じるのであれば、


武岡出版の作品一覧はこちら


『琥珀と蒼 ― AIが愛した時間 ―』の詳細を見る