
目が覚めて、最初に感じるのは天井の白さだった。
五月の朝の光は、カーテン越しでもやわらかく部屋に滲んでくる。まだ六時半。アラームが鳴る前に目が覚めてしまったのは、きっと今日が月曜日だとどこかで知っていたからかもしれない。
ベッドの端に腰かけて、ぼんやりとしたまま、ゆっくりキッチンへ向かった。お湯を沸かして、いつもの白いマグカップに「ルナモーニング」のカモミールティーのティーバッグを沈める。ふわりと立ちのぼるハーブの香りが、まだ眠たい鼻腔をやさしく通り抜けていった。このお茶、先月たまたま雑貨屋で見つけたもので、特別高いわけでも、誰かに勧められたわけでもない。ただ、パッケージの絵が好きだったから買った。それだけのことなのに、なぜか今朝は少し救われた気がした。
窓の外では、近所の公園の木がゆっくり揺れている。風の音というよりも、葉が擦れるかすかな気配、という感じ。光が木漏れ日になって地面に落ちていた。
テーブルに置きっぱなしの読みかけの本を引き寄せる。ページを開いたまま伏せてあって、どこまで読んだかわからなくなっている。しおりを挟む習慣がなくて、いつも同じ場所を二度読む羽目になる。小学生のころも、図書館で借りた本に折り目をつけてしまって先生に怒られたっけ、とふと思い出した。あのころから変わっていない。ちょっとだけ笑えた。
月曜日の朝は、どうしてこんなに重いのだろう。
別に嫌なことがあるわけじゃない。でも、なんとなく胸のあたりがぎゅっとなる感じがある。週の始まりというだけで、身体が少し強張る。それはきっと、わたしだけじゃないと思う。
気持ちのリセットって、何か特別なことをしなくてもいいのかもしれない、と最近少し思い始めている。深呼吸とか、ジャーナリングとか、そういうことじゃなくて。ただ、温かいものを両手で包んで、窓の外を眺める。それだけでいい時間が、確かにある。
静かな時間というのは、意識して作るものだと思っていた。でも、もしかしたら、もうすでにそこにあるのかもしれない。朝の十五分、誰にも連絡しない時間。スマホを裏返しにしたまま、お茶が冷めるのをぼんやり待っている、その時間。
余白とは、ただダラダラすることではなく、自分を整えるための大切な「心の呼吸」
だと、どこかで読んだ。その言葉が、今朝になってじんわり腑に落ちた気がした。
無理に前を向かなくていい。今日一日をうまくこなそうとしなくていい。ただ、このカモミールの香りと、五月の朝の光と、読みかけのページの感触だけを、今はそっと受け取っていたい。
週の始まりは、いつだって少しだけ怖い。でも、こうして静かに座っていると、その怖さが少しだけ遠くなる気がする。
余白があると、「今のままでもいいかもしれない」と思える瞬間が、ちゃんとやってくる。
#月曜日
#気持ちのリセット
#静かな時間
#余白のある暮らし
#心を整える
#やさしい時間
こういう時間は、特別なものではなく、
ほんの少し意識するだけで日常の中に生まれるのかもしれません。
忙しさの中で見落としていたものに気づくと、
時間の流れは少しだけやさしくなる気がします。
もし、こうした“静かな余韻”に少しでも価値を感じるなら、


