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目が覚めたとき、カーテンの隙間から夏の朝の光がうっすら入ってきていた。まだ7時前。外はもう明るくて、蝉がどこかで鳴き始めていて、でも部屋の中だけはまだ静かで、その温度差がなんとなく、今の自分の気持ちに似ているな、と思った。

月曜日、火曜日と走り続けてきて、今日はもう水曜日。週の折り返し地点、なんて言葉があるけれど、折り返せているかどうかも怪しい。ただ、疲れている。それだけははっきりわかる。

SNSでのコミュニケーションや情報量に疲れを感じている様子が、ここ最近ますます顕著になっている
らしい。わたしもきっとそのひとりで、昨夜もスマホを置こうと思いながら、気づいたら0時を過ぎていた。画面の光が目に染みて、でも止められなくて。そういう夜の積み重ねが、今朝の重さになっているのかもしれない。

ベッドの中でぼんやりしながら、先週末に買った「ヴェールモワ」のルームミストをシュッとひと吹きした。ラベンダーとほんのり白檀の香り。深呼吸をしたら、少しだけ体がほどけた気がした。ほんの少しだけ、だけど。

小学生のころ、母が体調を崩した日の朝、台所から漂ってくるみそ汁の匂いがなくて、その静けさがなぜか怖かったことを急に思い出した。あのとき「いつもと違う」を五感で感じていたんだと思う。今の自分も、何かが「いつもと違う」ことを体が先に知っている。頭より先に、体が疲れを教えてくれている。

安心できる場所って、どこだろう、とぼんやり考える。ふかふかの布団でも、好きな香りの中でも、誰かのそばでも。たぶん正解はひとつじゃなくて、その日その日で変わるものなのかもしれない。

余裕がないとき、人はどうしても「なんとかしなきゃ」と焦る。でも焦れば焦るほど、呼吸が浅くなっていく。わたしも今日、それをやっていた。朝から頭の中でToDoを並べて、まだ起き上がってもいないのに段取りを組んでいた。(さすがに布団の中でそれをやるのは、少しやりすぎだよな、と自分でもちょっと笑えた。)

「何もしない時間が欲しい」という感覚は、今の時代、多くの人が抱えている
。それは弱さじゃなくて、正直な声だと思う。余裕を取り戻すことは、立ち止まることと同じじゃない。ただ、呼吸を整えるための、小さな間を作ること。

コーヒーを淹れた。豆を挽く音が、思ったより心地よかった。ゴリゴリという低くて一定のリズムが、頭の中のざわめきを少しずつ押しのけていくような感覚。カップに注いだとき、湯気がふわっと上がって、それを両手で包んだ。温かい。ただそれだけなのに、なぜかほっとした。

疲れを感じているときほど、大きな何かを求めてしまいがち。でも本当に必要なのは、たぶんもっと小さなことで。コーヒーの温度とか、窓から入る風とか、誰かとした何でもない会話とか。そういうものが、じわじわと体の奥まで届いていく気がする。

今日は水曜日。まだ週の後半が残っているけれど、今この瞬間だけは、少しだけ力を抜いてみてもいいんじゃないかな。全部うまくやらなくても、整っていない部分があっても、それでいい。呼吸が浅くなっていたことに気づいただけで、今日はもう、十分なのかもしれない。
水曜日
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こういう時間は、特別なものではなく、
ほんの少し意識するだけで日常の中に生まれるのかもしれません。

忙しさの中で見落としていたものに気づくと、
時間の流れは少しだけやさしくなる気がします。

もし、こうした“静かな余韻”に少しでも価値を感じるなら、
ぜひ武岡出版の作品もご覧ください。