本棚から一冊を抜き取ったとき、頁のあいだから薄い紙片が落ちた。以前どこかで挟んだものらしいが、何のために使ったのかは思い出せない。紙には、鉛筆で短い線が一本だけ引かれていた。
その本を読み返している。昔、強く心を動かされた小説である。筋書きは覚えていた。登場人物が何を選び、どこで別れるのかも知っている。それでも、読み進めるうちに、前とは違う箇所で頁をめくる手が止まった。
以前は、物語の大きな出来事ばかりを追っていた。誰が何を失い、何を決意したのか。結末へ向かう力のある場面に、読書の焦点が集まっていたのだと思う。
今回は、食卓に置かれた湯気の消えかけた茶や、返事をしないまま閉じられる扉に目が向いた。物語の中心にいる人ではなく、その人のそばにいる誰かの沈黙が気になった。以前なら読み流していた一行が、妙に長く胸にとどまった。
本の文章が変わったわけではない。文字は同じ場所に並び、紙の手触りも、頁をめくる音も、初めて読んだときと大きくは違わない。それなのに、見えてくるものは変化する。
読書は、書かれた言葉を受け取るだけの行為ではないのかもしれない。そこには、そのときの自分が持っている経験や疲れ、誰かに言えなかった言葉まで入り込んでくる。若いころには理解できなかった人物の弱さが、時間を重ねたあとには、弱さのまま生きようとする姿として見えてくることもある。
一度読んだ本を、もう一度読む理由は、答えを確かめるためだけではない。自分がどこまで歩いてきたのかを、言葉の並びを借りて知るためでもある。読み返すたびに、過去の自分が残した印の隣へ、今の自分の印が加わっていく。
だから、本は時間を保存するものだと思う。物語の中だけでなく、読んだ日の部屋の明るさや、窓の外の風の音まで、意識しないまま抱えている。
本を閉じると、机の上の紙片がまた目に入った。鉛筆の一本線は、昔の私が立ち止まった場所を示している。そこへ今の私も、しばらく指を置いた。


