本を閉じるとき、しおりを挟む。

読み終えた頁を指で押さえながら、机の上を見回す。紙片でも、細い紐でも、たまたま手元にあったレシートでもいい。頁のあいだにそれを置き、表紙を閉じる。たったそれだけの動作なのに、読書の時間がひとつの形を持つように感じられる。

しおりは、本の中身を説明するものではない。どこまで読んだかを示すだけである。それでも、そこには読んだ人の時間が挟まっている。朝の出かける前に閉じた本。電車を降りるため、仕方なく指を離した本。眠気に負けて、灯りを消す前に伏せた本。

しおりを見れば、そのときの場面まで正確に戻れるわけではない。だが、紙の手触りや、部屋の明るさ、窓の外の音が、輪郭のない記憶として呼び起こされることがある。本に挟まれた小さな紙が、読書と生活の境目をつないでいる。

頁のあいだに置かれるもの

専用のしおりを使う人もいれば、書店の栞、葉書、切符、包装紙の切れ端を使う人もいる。私は、本のなかから思いがけないものが出てくる瞬間が好きだ。何年も前のメモや、もう使われていない店のカードが、言葉の途中から現れる。

その紙は、物語の一部ではない。それなのに、読んでいた文章と同じ時間を過ごしてきた。印刷された文字の列に、別の年月がそっと重なっている。

電子書籍には、読んだ位置を記録する便利さがある。私自身、その手軽さに助けられることもある。一方で、紙の本にしおりを挟む行為には、少し不器用なところがある。頁を探し、紙を選び、位置を確かめてから閉じる。その間に、読書を中断する自分を受け入れる時間が生まれる。

本は、いつでも続きへ戻れる場所である。しおりは、その約束を声に出さずに残しておくものなのかもしれない。読むことが途切れても、言葉とのつながりまで消えたわけではないと、頁のあいだで知らせている。

読みかけの本には、まだ読まれていない頁がある。そこへ戻る自分が本当にいるかどうかは、わからない。それでも、しおりを挟んでおく。明日の自分に、今日の自分が小さな目印を渡すように。

机の上で本を閉じる。しおりの端だけが、頁の外にまっすぐ出ている。