
木曜日の朝、7時22分。デスクに置いたコーヒーがまだ湯気を立てていた。ブランド名のない白いマグカップ——同僚の田中さんが「これ、使って」と無言で渡してくれたやつだ。受け取るとき、彼女は少しだけ視線を逸らしていた。照れているのか、眠いのか、今もよくわからない。
その朝、ぼくは三つの案件の判断を午前中に終わらせなければならなかった。
タスクの量だけ見れば、それは「こなせる量」だった。でも何かがずれていた。判断の手応えが薄い。返答を打ち終えるたびに、「これで本当によかったか」という感覚が尾を引く。精度が落ちている、と気づいたのは三つ目の案件のあとだった。
思い返すと、小学生のころ、夏休みの宿題をまとめて片付けようとして、後半の漢字ドリルがほぼ全滅したことがある。量をこなしているのに、なぜか何も残らない。あの感覚に似ていた。こなすことと、判断することは、まったく別の行為だと、あのとき薄々気づいていたはずなのに。
コーヒーを一口飲んで、ぼくはキーボードから手を離した。
余白、という言葉がある。デザインの文脈で使われることが多いが、思考においても同じ原理が働く。情報と情報の間に空白がなければ、人は何も読み取れなくなる。ぼくたちの判断もそれと同じで、次の案件に飛び移る前の「間」がないと、視点がリセットされないまま積み重なっていく。
窓の外、まだ朝の光が斜めに差し込んでいた。ビルの隙間から見える空は、薄い水色をしていた。その色がやけに静かで、しばらく目が離せなかった。
架空のメモアプリ「Clario Notes」に、ぼくはその日から「3分の空白」を入れるようにした。案件と案件の間に、何も考えない時間を意図的に置く。最初は落ち着かなかった。何かをしていないと損をしているような気がして、スマホに手が伸びそうになる。でも一週間もすると、その3分が判断の質を変えていることに気づいた。
視点が変わる、というのはそういうことだと思う。
動き続けることで見えなくなるものがある。止まることで初めて、自分が今どこにいるかが分かる。地図を広げるには、歩みを止める必要がある。判断精度というのは、処理速度ではなく、「自分の立ち位置を把握する精度」のことかもしれない。
木曜の朝は、週の折り返し点だ。月曜からの疲れが積み重なり、金曜への焦りが始まる手前。そのちょうど真ん中に、短く立ち止まる時間を置くことが、思いのほか大きな意味を持つ。
コーヒーはいつの間にか冷めていた。でもそれでよかった。冷めたコーヒーを飲みながら、ぼくは次の判断に向かった。今度は少しだけ、落ち着いて。
#木曜日
#判断力
#思考整理
#ビジネス視点
#本質思考
#余白の力
忙しさの中で見落としているものは、意外と多いものです。
ほんの少し立ち止まり、余白を持つだけで、
見えるものや判断の精度は変わってきます。
もし、こうした視点に価値を感じるのであれば、


