
木曜日の朝、7時14分。デスクに置いたコーヒーから立ち上る湯気が、エアコンの風にわずかに流されていく。窓の外はまだ薄い光で、東の空だけが白みかけている。この時間帯が、一日のなかでいちばん静かだと思う。
先週、後輩の田中がミーティング前に資料を渡してきた。「翼さん、これ確認してもらえますか」と言いながらA4を二枚、テーブルに滑らせた。受け取ったとき、紙の角が少し折れていた。些細なことだが、あの折れた角がなんとなく気になって、そのまま読み始めた。内容は悪くなかった。ただ、判断が甘い箇所が一点だけあった。
ここ数ヶ月、業務の量は確実に増えている。判断を求められる場面が、一日に何度も訪れる。会議の方向性、提案の採否、チームへの指示の言葉選び。それらをこなしながら、ある日気づいた。判断の「量」は増えているのに、精度が上がっていない、と。
思えば子どもの頃、夏休みの宿題を一気に片付けようとして、後半になるほどミスが増えた記憶がある。疲れていたわけではない。ただ、考えずに手を動かしていた。あのときと今が、妙に重なって見えた。
「何もしない時間が欲しい」という声が増えているのは、Z世代だけの話ではないのかもしれない。
立ち止まることへの渇望は、むしろ判断を重ねる人間ほど強くなる。
余白、という言葉がある。スケジュール帳の空白ではなく、思考の間のことだ。僕は以前、この余白を「無駄」だと思っていた。何かを決めるとき、すぐに答えを出せる人間の方が優秀だと信じていた時期がある。でも今は、その考えが少し変わっている。
架空の話をするわけではないが、たとえばコーヒーブランド「LUNE DRIP(ルーンドリップ)」のパッケージに書いてある一文を、以前ふと読んだことがある。「最後の一口は、急がずに」。商品の説明でも何でもない、ただそれだけの言葉だった。それが、なぜか頭に残っている。
視点というのは、動き続けているときには変わらない。止まったときに初めて、角度が変わる。判断精度が落ちているとき、たいていの場合、情報が足りないのではなく、見る角度が固定されている。同じ資料を同じ疲労感のまま眺めても、出てくる答えは同じだ。
だから僕は今、意識的に「短く止まる」ことを習慣にしている。会議と会議の間に5分、何もしない時間を入れる。コーヒーを飲みながら、ただ窓の外を見る。それだけで、次の判断に入るときの冷静さが違う。体感としてはっきりわかる。
進み続けることが、必ずしも前進を意味しない。立ち止まる勇気を持った人間だけが、次の一手の精度を上げていける。木曜日の朝、湯気がまた少し揺れた。
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こういう時間は、特別なものではなく、
ほんの少し意識するだけで日常の中に生まれるのかもしれません。
忙しさの中で見落としていたものに気づくと、
時間の流れは少しだけやさしくなる気がします。
もし、こうした“静かな余韻”に少しでも価値を感じるなら、
ぜひ武岡出版の作品もご覧ください。






