ALT

九月の朝は、少しだけ空気が変わる。

夏の名残を引きずりながらも、どこかひんやりとした気配が窓枠の隙間から忍び込んでくる。カーテンを開けると、まだ低い位置にある陽の光が斜めに差し込んで、床の木目をうっすらと金色に染めていた。コーヒーを淹れながら、ふとそのことに気がついて、手を止めた。

こういう朝に、言葉のことを考える。

今週もいろいろなことがあった。締め切りに追われた日、返信を忘れて慌てた夜、近所の「ソラネコ書房」という小さな古書店で偶然手に取った一冊の歌集。その中に、見慣れない熟語が静かに鎮座していた。

「玲瓏(れいろう)」。

「玲瓏」とは、透き通るように美しく輝く様子を表した言葉であり、また玉などが澄んだ音で綺麗に鳴る様子を表現する言葉でもある。
視覚と聴覚、その両方を同時に束ねてしまうこの熟語の包容力に、少し驚いた。現代ではほとんど使われない。けれど、確かに存在している。

子どもの頃、祖母の家の縁側に吊るされた風鈴の音を思い出す。ガラス製の、薄くて軽い音。あの音を「きれい」と言っていたけれど、本当は「玲瓏」と呼ぶべきだったのかもしれない。そう思うと、言葉を知らなかった幼い自分が少し惜しいような、でも知らなかったからこそ純粋に感じられたような、妙な気持ちになる。

日本語には、風景・感情・美意識を一言で表してしまう言葉が数多くある。「木漏れ日」「黄昏」「物の哀れ」——英語に直訳できないこれらの言葉は、日本人が何世紀もかけて自然と感性を磨く中で生まれた言語の宝物だ。
「玲瓏」もまた、そのひとつだと思う。

日本語という言語の不思議なところは、描写が単なる説明に留まらないことだ。「玲瓏」という音の連なりそのものが、すでに澄んでいる。「れ」と「い」と「ろ」と「う」、四音が口の中でころころと転がって、聴いているだけで何かが透き通っていく感覚がある。表現とは、意味を伝えるだけでなく、音として体に触れるものでもある、ということを、この言葉はそっと教えてくれる。

ちなみに、歌集を読みながら付箋を貼ろうとして、口に咥えていたペンのキャップをそのままコーヒーに落としてしまった。静かな読書の時間が、小さな騒動で一瞬だけ揺れた。日曜の朝らしい、どうにも締まらない幕間だった。

大和言葉とは、古くから伝わる日本固有の言葉であり、独特の美しい響きがあり、優美で柔らかな表現ができる。
「玲瓏」は漢語由来の熟語ではあるけれど、日本語の土壌に根を張り、独自の情感を帯びてきた言葉のひとつだと感じる。漢字が持つ視覚的な美しさと、読み下したときの音の流れ。その両方が重なるとき、日本語はひとつの詩になる。

言葉は、使われなくなっても消えるわけではない。どこかの古書の頁の間に、静かに息をひそめて待っている。誰かがそっとページをめくるのを。

「玲瓏」という言葉が、あなたの中でどんな情景を結ぶだろうか。それは私が決めることではないし、決めたくもない。ただ、こんなにも美しい響きと意味を持つ言葉が、日本語という言語の中にひっそりと眠っていること——それだけで、この朝のコーヒーが、少しだけ豊かになる気がしている。
#日曜日
#言葉の力
#物語
#読書時間
#余白
#静かな時間
#日本語
#単語
#熟語
#表現
#描写
#漢字
#武岡出版
#武岡隆
#読書
#読書好きな人と繋がりたい
#茨木市
#琥珀と蒼
#日溜まりの旋律
#風に触れたい

———

こういう時間は、特別なものではなく、
ほんの少し意識するだけで日常の中に生まれるのかもしれません。

忙しさの中で見落としていたものに気づくと、
時間の流れは少しだけやさしくなる気がします。

もし、こうした“静かな余韻”に少しでも価値を感じるなら、
ぜひ武岡出版の作品もご覧ください。