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武岡 隆のブログ

RYU TAKEOCA BLOG

武岡 隆のブログ

本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。

「銀杏の実」を包むのは果肉ではない

秋に落ちる銀杏は、果実に見える。橙色のやわらかな部分が外側にあり、それを取り除くと硬い殻が出てくる。見た目だけなら、小さな果肉の中に種が入っていると考えるのが自然である。

ところが、あの匂いの強い部分は果肉ではない。種子を覆う種皮のうち、外側にある外種皮である。つまり、橙色の部分を除いて初めて種子が現れるのではなく、その部分もすでに種子の一部なのだ。

私が引っかかるのは、この境目である。手で扱うときには、やわらかな外側と硬い内側を別のものとして考えたくなる。外側を落とし、殻を割り、中身を取り出す。

その手順だけを見れば、果物から種を取り出す作業によく似ている。植物のつくりは、手触りでは分かれていない。銀杏の橙色の外種皮と、その内側の硬い層は、質感も役割も違うが、どちらも種子を包む側に属している。

私たちの指には大きな切れ目として感じられるところが、植物学では一続きの構造として捉えられている。このずれは、色だけを見ても起こる。熟して橙色になり、落下後にはやわらかくなる姿は、果実の成熟を思わせる。

しかし、色づくことややわらかくなることは、それだけで果肉の証明にはならない。植物のつくりを分ける基準は、熟した後の状態だけでなく、どの器官に由来するかにある。

桃と比べると、見かけの対応が分かりやすい。桃にもやわらかな部分と硬い部分があり、その奥に種子がある。銀杏も外から内へ硬さが変わるため、同じ順序に見える。

手触りだけを手がかりにすると、由来の異なる部分を同じ「果肉」や「殻」として対応させてしまう。外形の似方は、内部の区分まで保証しない。イチョウは裸子植物である。

被子植物の果実は、花の子房が成熟してできる。受粉後に種子が育つとき、子房壁は果皮となって種子の外側を包む。一方、裸子植物には種子を果実として包む子房がないため、子房壁が果皮へ変わる段階もない。

銀杏は果実のような姿をしていても、植物学上の果実ではない。目にしているまとまりは、一個の種子とそれを覆う層である。それでも、日常で「銀杏の実」と呼ぶことに不都合はほとんどない。

「実」という言葉は、植物学上の果実だけを指して使われているわけではなく、木になったものや、熟して落ちるものを広く受け止めている。呼び名が間違っているというより、日常の言葉と植物学の言葉が、違う基準で同じものを分けているのである。

日常の側は、見た目や扱い方を頼りにする。やわらかな部分を取り除き、硬い殻の内側を食べるなら、外側は果肉、内側は種と思いやすい。植物学の側は、その部分が何からでき、どの構造に属するかを見る。

同じ銀杏を前にしても、線を引く場所が違う。「果肉ではなく外種皮だ」と知ると、目に入る順序は同じでも、観察の焦点が変わる。色や匂い、やわらかさは、食べられる果肉らしさの証拠ではなく、種子の外側の層が持つ性質として見直される。

見た目から得た名前を捨てるというより、その性質が何に属するのかを確かめ直すことになる。桃と銀杏は、やわらかな外側の内に硬い部分があるところまではよく似ている。

違いは、その硬さの内外を何がつくったかにある。桃では、花の子房に由来する果実の内側で、果皮の一部が硬い核となり、そのさらに内側に種子が収まる。

銀杏には子房に由来する果実がなく、匂いの強い橙色の部分は外種皮、いわゆる殻に見える硬い部分も種子を覆う層に属する。桃ではやわらかな果肉から硬い核までが果実側で、種子との境は核の内側にある。

銀杏では橙色から硬い殻へ触感が変わっても、まだ種子の被覆の内側をたどっている。見た目の類似は、桃なら子房がつくった果実、銀杏なら種子自身の被覆という地点で、別の構造へ分かれる。

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