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日曜日の朝は、いつも少しだけ時間の流れが違う。

カーテンの隙間から差し込む光が、フローリングの上に細長い白をひいている。コーヒーメーカーがひとりでに動き出す音、豆が挽かれるくぐもった低音。それだけで、今日という一日が静かに始まる合図になる。そういう朝に、ふと言葉のことを考える。

今週、頭の中にずっと居座っていた言葉がある。「玲瓏(れいろう)」。

この言葉を最後に声に出したのはいつだろう。おそらく、ほとんどの人が日常会話で使うことはない。学校の教科書にも載っていなかったかもしれない。それでも、声に出してみると、なんとも不思議な感触がある。「れ・い・ろ・う」——舌の上で転がすように発音すると、どこか澄んだ鈴の音に似た余韻が残る。

本来の意味は、玉や水晶のように澄みきって美しく輝くさま、あるいは音が澄み透るように響くさまを指す。漢字の「玲」は玉が触れ合って鳴る音を表し、「瓏」もまた玉の澄んだ響きを意味する。つまりこの熟語は、二文字ともが「玉の音」を宿している。そんな言葉が日本語の中にある。

子どもの頃、祖母の家の縁側に風鈴が吊るされていた。夏の夕方、風が通るたびにちりん、と細く鳴る。あの音を聞くたびに、空気そのものが透き通るような気がした。玲瓏という言葉に触れると、あの縁側の空気が不意に蘇る。言葉とはときに、記憶の扉を開ける鍵になる。

描写というものを考えるとき、日本語はひとつの情景を驚くほど少ない文字数で切り取ることができる。「玲瓏たる月光」と書けば、月の光が単に明るいのではなく、澄んで、透き通って、鳴き声のような静けさを帯びていることまで伝わる。それはほかの言語に翻訳しようとすると、とたんに輪郭がぼやける。

先日、近所のカフェ「ソライロ舎」で友人と向き合っていたとき、彼女がふと窓の外を見やった。何かを言おうとして、言葉を探すように少し口を開けたまま止まった。その間、三秒ほど。結局「なんか、きれいだね」とだけ言って、カップをそっとテーブルに置いた。その「なんか、きれいだね」の中に、玲瓏という言葉が入っていたかもしれない、と思った。言葉を知らなくても、人はちゃんとその感覚を持っている。ただ、名前がないだけで。——ちなみに私はその瞬間、感動しながらもコーヒーを少しこぼしていた。静謐な場面にしては、なんとも間の抜けた幕切れだった。

表現とは、感じていることに輪郭を与える行為だ。日本語にはそのための道具が、信じられないほど細かく揃っている。「澄んでいる」「輝いている」「響いている」——それぞれ別々の言葉で言い表すしかないことを、玲瓏のたった二文字が同時に担う。

今ではほとんど使われなくなったこの言葉が、かつては詩の中で、手紙の中で、誰かの声の中で生きていた。そう思うと、言語とは単なるコミュニケーションの道具ではなく、時間をまたいで感覚を運ぶものなのかもしれない。

玲瓏。

あなたはこの言葉を読んで、どんな情景を思い浮かべただろうか。
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こういう時間は、特別なものではなく、
ほんの少し意識するだけで日常の中に生まれるのかもしれません。

忙しさの中で見落としていたものに気づくと、
時間の流れは少しだけやさしくなる気がします。

もし、こうした“静かな余韻”に少しでも価値を感じるなら、
ぜひ武岡出版の作品もご覧ください。