RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
「大丈夫」を「だいじょうぶ」と書く夜
「大丈夫」と「だいじょうぶ」。声に出せば、どちらも同じ言葉である。それなのに画面に並べてみると、私には少し違って見える。
「大丈夫」は三つの漢字で、ひとまとまりになって目に入る。意味もすぐに立ち上がる。「大丈夫です」「大丈夫ですか」と書けば、確認や返答のための言葉として収まりがいい。
仕事の連絡で見かけても、それほど引っかからない。一方、「だいじょうぶ」とひらがなで書くと、同じ言葉なのに輪郭が少しほどける。「だ」「い」「じ」「ょ」「う」「ぶ」。
六つの文字が横に並んでいる。それだけの違いなのだが、私には漢字よりも少しだけ言葉の中に入る余地があるように感じられる。だからといって、ひらがなで書けば優しくなる、という話ではない。
「だいじょうぶですか」と書かれても、答えを求められていることに変わりはない。相手との関係や、その前に交わされた言葉によっては、漢字よりもひらがなの方がかえって断りにくいことだってある。
表記ひとつで、人の気持ちまで都合よく変わるわけではない。それでも私は、ときどき漢字をひらがなにしたくなる。たとえば「辛い」と「つらい」。
「休む」と「やすむ」。意味はほとんど同じなのに、文章の中へ置いたときの手触りまで同じとは思えない。短い返事を書く場面でも、似たことは起こる。
「大丈夫です」と書けば、簡潔で分かりやすい。そこをあえて「だいじょうぶです」とする必要など、情報だけを伝えるならほとんどない。それでも、そのわずかな違いが気になるときがある。
漢字にするか、ひらがなにするか。句点を置くか、置かないか。たった一文字を戻して、また打ち直す。
効率だけを考えれば、そんな迷いは余計な時間である。だが、その余計な時間の中に、言葉をどんな距離で置こうとしているのかが現れることがある。「大丈夫」と書くと、そこにはひとつの答えが置かれる。
「だいじょうぶ」と書くと、私には答えになる少し手前で言葉が留まっているように見える。もちろん、これは私の受け取り方でしかない。漢字には意味が凝縮されて見え、ひらがなには音が順番に並んで見える。
だからといって、読む人が同じように感じるとは限らない。これを日本語の一般的な法則にしたいわけでもない。同じ「大丈夫」でも、誰が、どんな場面で、どんな気持ちで言ったのかによって重さは変わる。
文字だけを見て、人の気持ちまで決めつけることはできない。それでも、書き言葉には声がない。声の代わりに残るのは、文字の形と、その並び方と、前後の言葉である。
だから私は、意味が同じなら何でも同じだとは、どうしても思えない。「大丈夫」という言葉は便利である。無事であることも伝えられる。
問題がないことも示せる。相手を安心させることもできる。ときには、本当は大丈夫ではないものまで、その三文字の中へ押し込めてしまうこともある。
だから私は、この言葉を書くときに少し迷う。答えとして渡したいのなら、「大丈夫」でいい。けれど、答えにするにはまだ早いもののそばへ置くなら、「だいじょうぶ」と書きたくなることがある。
意味を変えたいわけではない。相手を慰めるための特別な言葉にしたいわけでもない。ただ、言葉が先に結論になってしまわないように、ほんの少しだけ形をほどいておきたい。
「大丈夫」と「だいじょうぶ」。どちらを選んでも、声にすれば同じである。それでも文章を書く手は、ときどきそのあいだで止まる。
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