RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
登場人物が言い直す一語
「心配した。いや、気になっただけだ」この台詞で私が気になるのは、言い直したあとの「気になった」より、引っ込められた「心配した」のほうである。
人物はなぜ、その一語を言い過ぎたと感じたのか。訂正された語には、整えてから口にした台詞とは別のものが残る。文章であれば、「心配した」を消して「気になった」と書き直せる。
読む側に最初の語を見せないこともできる。会話はそうはいかない。一度発した音は、言い直しても相手に届いたままである。
訂正は置き換えではなく、先の語に次の語を重ねる行為になる。初めから「気になっていた」とだけ言えば、人物の態度はそれなりに整う。相手を意識していたことも伝わるし、踏み込みすぎない距離も保てる。
そこへ「心配した」を先に置くと、本人が隠そうとした関わりの深さまで台詞に入ってくる。言い直しは情報を減らすようでいて、実際には一語分を増やしている。
「心配」と「気になる」は、辞書の上で遠く離れた語ではない。それでも人物にとっては、同じ強さではないのだろう。「心配した」では相手を大切に思っていることが出すぎるのかもしれない。
あるいは、相手のことを分かったように聞こえるのを避けたいのかもしれない。どこを言い過ぎと判断したかによって、二人の間にある距離が変わる。そして、その判断は話し手だけでは決まらない。
誰に聞かれているかが、言い直す語を選ばせる。同じ気持ちを述べる場合でも、近づきたい相手と、これ以上近づかれたくない相手とでは、引っ込めたくなる一語が違う。
訂正は語の精度を上げるためだけでなく、相手に渡してよい自分の量を調整するためにも使われる。言い直すまでの長さにも差がある。「心配した。
いや」とすぐに戻るなら、自分の発言に自分で驚いたように見える。少し説明を続けてから訂正すれば、相手の受け取り方を見て修正した可能性が出てくる。
わずかな間の違いによって、言い過ぎに気づいたのが発言の内側なのか、相手との間なのかが変わる。ただし、先に出た語が必ず本音で、あとの語が取り繕いだとは限らない。
人物自身も、どちらが正確なのか決められずにいる場合がある。さらに、最初の一語をわざと聞かせてから退く言い方もありうる。言い直しが示すのは隠された真実というより、その人物がいま、何を出し、何を戻そうとしているかである。
創作の台詞に言い直しを置けば、それだけで人物が複雑になるわけではない。口ごもらせるための飾りとして重ねると、作者が人物らしさを説明しているように見えてしまう。
最初の語と次の語のあいだに、その人物にとって退く必要のある差がなければ、訂正はなくてもよい。差があるとき、言い直された一語は会話の先にも残る。
相手は訂正後の語を受け取りながら、訂正前の語もすでに聞いている。次の返事がどちらへ向けられるかによって、話し手が戻したつもりの一語が、戻り切っていなかったことが分かる。
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