RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
鈴虫の音色をつくる、二枚の翅
鈴虫は翅をこすって鳴く。この説明は短く、仕組みも分かったような気になる。私が引っかかるのは、「こする」という一語で片づけると、あの音が摩擦のついでに出ているように思えてしまうことである。
鳴くのは雄で、使うのは左右の前翅だ。翅を動かすと、一方にあるやすり状の細かな部分が、もう一方の翅の縁と触れ合う。細かな凹凸が次々に引っかかっては外れ、その繰り返しが振動を生む。
二枚を大まかにこすっているのではない。動きの中で実際に振動を起こす場所は、ずっと小さい。その振動は、発生しただけでは秋の夜に届く音にならない。
前翅には薄い膜の部分があり、振動を受けて響かせる。音のきっかけを作る部分と、周囲の空気へ伝わる響きにする部分が、同じ二枚の翅の中に収まっている。
左右の翅と聞くと、同じ形のものが対等に動く姿を考えやすい。発音するときには、やすり状の部分と、それを受ける縁とで働きが分かれる。左右という位置の呼び名だけでは、この違いは見えてこない。
外からは似た一対に見えるものの内部に、動きに応じた役割の偏りがある。私には、接点の小ささと、響く面の広さの違いが面白い。振動の始まりは、ごく限られた場所である。
そこから薄い面の動きへ移るにつれて、周囲の空気へ働きかける範囲が広がる。耳へ届く音の存在感から、その出発点の狭さを想像するのは難しい。摩擦音には、滑らかさを損なう雑音という印象がつきまとうことがある。
何かが引っかかる音を、不具合のしるしとして受け取る場面も少なくない。鈴虫の場合は、その引っかかりが発音の中心に置かれている。細かな並びと翅の動きによって、連続する引っかかりが一定の振動となり、聞き分けられる音へ変わる。
ここで、凹凸の一つと、耳が捉えるひと続きの音とを同じ単位にしない方がよい。一度の小さな動きだけが、あの長さを持った音色になるのではない。短い変化が連なり、耳にはまとまりのある響きとして届く。
細部では途切れを含む動きが、全体では連続して聞こえるところにも、この仕組みの妙がある。弦楽器なら、弦を鳴らすものと、振動する弦と、それを響かせる胴を別々に見ることができる。
どの部分が動きを与え、どの部分が響きを支えるのかを、離れた部品としてたどれる。鈴虫では、それに当たる複数の働きが小さな前翅へ折り畳まれている。
音を作る仕掛けが、身体の外に組み立てられているのではなく、雄の背に載った二枚の中で完結している。秋の夜には、鈴虫の姿より先に音を受け取ることがある。
そのため、音だけが暗がりに浮かんでいるように感じられる。実際には、その音の背後で前翅が動き続けている。耳は出来上がった響きを一度に受け取るが、その源では、身体の小さな運動が細かな時間の積み重なりを作っている。
「二枚の翅」という数え方は、同じものが二つある姿を思わせる。発音の場面では、二枚を一枚ずつ取り出して足し算しても、全体の働きは説明できない。
一方だけを見ても、そこに備わった形の意味は十分に読めず、相手との位置関係や動きの受け渡しまで含めて初めて役目が定まるからだ。左右は部品の予備ではなく、役割の異なる相手を必要とする一組なのである。
鈴虫の音を数える単位は、翅なら二枚、仕組みなら一組と考えるのがふさわしい。秋の夜に聞こえる一つの音色の中には、同じではない二枚が組になる、その関係が収まっている。
新しい記事をメールで受け取る
武岡 隆の新しい文章が公開されたとき、メールで静かにお知らせします。
登録料・購読料はかかりません。メールアドレスはブログ更新通知のためだけに使用します。いつでも解除できます。


