RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
動作に添う、ひらがなの「ください」
「本を下さい」と「読んでください」。声に出せば、末尾はどちらも同じ「ください」である。それなのに、文字にすると、一方には漢字を使うことができ、もう一方はひらがなで書く。
この小さな違いが気になる。「本を下さい」の「下さい」は、「下さる」という動詞の形である。話し手が本を受け取るために、相手へ与えてほしいと求めている。
「本を」は「下さい」の対象であり、この語が文の述語を引き受けている。漢字で書けば、動詞として一つの場所を占めていることが見えやすい。一方、「読んでください」で求めているのは、「ください」という動作ではない。
相手にしてもらいたいのは「読む」ことだ。「ください」は「読んで」のあとに付き、その動作を相手へ頼む形にしている。こちらは補助動詞として働くため、一般にひらがなで書かれる。
同じ音でありながら、「下さい」は自分で動作を担い、「ください」は前にある動作に添う。表記は発音の違いを示しているのではなく、文の中で受け持つ仕事の違いを示しているのである。
その差は、「ください」だけを見ても分かりにくい。前にある語を見ると、役割がはっきりする。「本を下さい」では、名詞である「本」が「下さい」の対象になる。
「読んでください」では、動詞の「読む」が「読んで」という形になり、その後ろへ「ください」が続く。ただし、「を」があれば「下さい」と書けばよい、という単純な見分け方ではない。
「本を送ってください」には「本を」があるが、「ください」が直接添っているのは「本」ではなく「送って」である。本は送る対象であり、頼んでいる動作の中心は「送る」にある。
この場合の「ください」は補助動詞なので、ひらがなが似合う。「水を下さい」と「水を入れてください」を比べてもよい。前者では水そのものを求め、後者では水を入れる動作を求めている。
どちらにも「水を」がある。それでも「ください」の役割は、直前の「入れて」が間に入ることで変わる。漢字には、その語の意味をひとかたまりとして立たせる働きがある。
「下さい」と書けば、「与える」という動詞の輪郭が出る。ひらがなの「ください」は、それ自体の意味を前へ出すより、「読んで」「送って」「入れて」といった動作を依頼の形に整える方へ回る。
文字の見た目にも、役割の大小が現れるのが面白い。もちろん、物を求める場合にも「本をください」とひらがなで書くことはある。文章全体の調子をそろえたり、漢字を減らして読みやすくしたりする書き方も自然である。
したがって、漢字なら必ず本動詞、ひらがななら必ず補助動詞、と表記だけで断定することはできない。ただ、書き分けを考えることには意味がある。「ください」が何を表しているかではなく、何に添っているかを確かめることになるからだ。
物を受け取るための動詞なのか、すでに示された動作を頼むための語なのか。漢字とひらがなの選択が、文の組み立てを見直す入口になる。
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