RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
文字のない束見本で、本の厚みを確かめる
束見本には、読む文字がない。予定している紙とページ数をもとに、本と同じような形へ仕立てた見本である。本文を確かめるためのものではないのに、出版の途中でわざわざ一冊の形にする。
私がここで気になるのは、本の厚みは数値で示せるはずなのに、それだけでは決めきれないという点である。ページ数が決まり、紙の仕様が分かれば、おおよその厚さは計算できる。
それだけの情報があっても、数ミリという数字と、一冊を手に持ったときの感じは同じではない。たとえば、同じページ数でも、選ぶ紙によって厚みは変わる。
紙が変われば、指でページを繰るときのまとまり方も違ってくる。厚い本だから重く感じるとは限らず、薄く見えても紙の種類によっては手にした印象が軽くないこともある。
判型との釣り合いもあるので、背幅だけを取り出して見れば済む話でもない。束見本を持つと、「何ミリあるか」は「どのくらいの一冊に感じられるか」へ変わる。
片手で支えたときの収まり、机に置いたときの姿、ページを開いたときに中央がどこまで見えるか。これらは数字にできないわけではないが、別々の数値を並べるより、一冊の形で確かめた方が早いことがある。
開き具合は、読みやすさにも関わる。製本の方法や紙の性質によって、手を離しても開きやすい本もあれば、閉じる方へ戻ろうとする本もある。本文が入ってから気づいても、紙やページ数を簡単には変えられない。
文字のない段階だからこそ、本を読む動作だけを先に見ることができる。もう一つ、束見本では背表紙が急に具体的になる。画面上の背幅は、細長い長方形として扱える。
そこへ書名や著者名を配置することもできる。ところが実物では、その幅に文字が本当に収まるかだけでなく、細すぎて読みにくくないか、背の端へ寄りすぎないかまで目に入る。
背表紙は、本棚に収まったときに正面になる場所である。一方で、使える幅は内容の長さと紙の選択によって決まる。題名を目立たせたいからといって、背だけを自由に広げることはできない。
本文のページ数が、表紙の一番細い面の設計まで左右している。このつながりは、平面のデータを見ていると少し見落としやすい。もちろん、束見本が完成した本の印象をすべて教えてくれるわけではない。
印刷が入ればページの見え方は変わり、表紙の紙や加工によって手触りも変化する。文字のない一冊は完成品の代わりではなく、まだ本文に隠されていない構造を確かめるためのものなのだと思う。
束見本で確かめやすいもう一つの点は、開く位置によって左右に分かれる紙の量である。閉じた状態では一つの厚みに見えていた紙が、表紙を開けば二つの束になる。
最初の数ページでは片側にほとんどが残り、中ほどでは左右が近い厚さになり、終わりに近づけば重みの偏りも反対へ移る。ページを送るたびに、一冊の重心が少しずつ渡っていく。
予定するページ数と紙で作ってあるからこそ、その移り方を本文の印刷前に試せる。机の上では安定していても、片手で支えると、開く位置によって親指にかかる負担や表紙の支え方が変わる。
前半と後半で同じ姿勢を保てるとは限らず、厚い側をどう受けるかも変わる。厚さの合計が同じでも、読む途中のどこで持ちにくさが現れるかは、背幅の数値からは見えない。
文字のないページを一枚ずつ送ると、右にあった紙の重みが、少しずつ左へ移っていく。
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