RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
やかんが鳴るまでの会話を書く
火にかけたやかんは、時計とは少し違う。いずれ鳴ることは分かっているが、あと何分かは表示されない。終わりは確実なのに、残り時間だけが見えない。
この半端な期限を会話の背後に置くと、登場人物が言い出せないまま過ごす数分に切迫が生まれる。「五分だけ話そう」と人物に言わせれば、期限は明確になる。
その代わり、読者も五分を数え始める。やかんの場合、数えることはできない。まだ大丈夫だと思っているうちに鳴るかもしれない。
その曖昧さは、言葉を急がせるより、先延ばしにさせる方へ働く。場面の初めでは、やかんを火にかけた事実を読者に渡しておく必要がある。読者が知っていても、二人が同じように意識しているとは限らない。
一人だけが鳴る時を気にしていれば、相手の迂回は余裕に見え、すれ違いが深くなる。ここが遅いと、鳴ったときに作者が突然持ち込んだ合図に見えてしまう。
反対に、何度もやかんへ視線を戻し、「そろそろ鳴りそうだ」と書けば、見えない期限を自分で見えるものに変えてしまう。たとえば、二人のうち一人に確かめたいことがある場面を考える。
すぐ本題へ入らず、「砂糖はいるか」「今日は冷える」といった話を続ける。こうした台詞は、ただの日常会話にもできるし、本題を避けるための迂回にもできる。
違いを作るのは、話題の内容より、やかんがすでに火にかかっているという順序である。沈黙も同じである。「長い沈黙だった」と説明しなくても、返事の前後で湯の状態が変われば、その間に時間が通ったことが分かる。
小さな音や蓋の動きを使えるやかんなら、それを一度だけ挟んでもよい。ただし、やかんの種類によって起こる変化は違う。雰囲気のために、実際には起こらない音まで足す必要はない。
誰がやかんを火にかけたかも、会話に関わる。自分でかけた人物は、鳴れば立たなければならないと知っている。もう一人は、その動作によって話が切れることを待っているかもしれない。
二人とも同じ音を待っていても、一方には締め切りであり、もう一方には逃げ道になる。タイマーなら、音が鳴っても止めるだけで済む。やかんは火から下ろし、場合によっては湯を注ぐ動作が続く。
つまり音だけでなく、座っていた人物を会話から動かせる。どちらが先に立つか、立ったあとに背を向けるか、その場へ戻るか。言えなかったことは、台詞ではなく位置の変化にも現れる。
気をつけたいのは、告白や問いの直前に都合よく鳴らしすぎないことである。やかんは会話の内容を知らない。重要な一語に重ねて毎回鳴らせば、人物より作者の手つきが目立つ。
むしろ、何でもない返事の途中で鳴る方が、その直前まで本題へ入れなかった事実が残る。鳴ったところで場面を終える必要もない。火を止めたあとに会話が続けば、鳴る前とは条件が変わっている。
もう期限はない。それでも言えないなら、人物を止めていたのは時間の不足ではなかったと分かる。反対に、立ち上がったことで初めて口にできる言葉もある。
私なら草稿を読み返すとき、やかんについて書いた回数より、人物が本題を避けた回数を見る。そして、鳴ったあと誰が動くのかを確かめる。やかんの音に消される一語を作るより、その音が来ると知りながら、最後まで口にできなかった一語を決めたい。
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