RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
読みかけの本にも使える「まだ読んでいない」
「その本、読んだ?」に対する「まだ読んでいない」は、少し変わった返事である。一ページも開いていない本なら、何も不思議はない。
気になるのは、すでに読み始めている本にも、この返事が使えることだ。半分ほど進んでいても、結末まで残りわずかでも、「まだ読んでいない」と答える場合がある。
実際にはページを読んでいるのだから、動作だけを見れば否定と食い違っている。この食い違いは、「読む」が途中の動作と、一冊を読み終えることの両方に関われるところから生まれる。
「いま、その本を読んでいる?」と尋ねられたなら、途中の人は「読んでいる」と答えるだろう。一方、「その本、読んだ?
」は、一冊をまとまりとして扱い、そのまとまりを終えたかどうかを尋ねる形になりやすい。同じ読みかけの状態なのに、問いの形が変われば肯定と否定が入れ替わる。
何を一まとまりとするかは、対象によっても異なる。「新聞を読んだ」なら、関心のある記事に目を通しただけかもしれない。「メールを読んだ」なら、本文を確認した時点で済んだことになる。
小説では結末まで、実用書では必要な章までという数え方もあり得る。動詞が同じだからといって、完了の線がいつも同じ場所に引かれるわけではない。「まだ」も、何も始まっていない状態だけを表す語ではない。
「まだ着いていない」と言う人が、すでに目的地へ向かっていることはある。移動の開始ではなく、到着を基準にした否定である。読書についても、進み具合を知らせたいなら「読み始めた」「いま半分くらい」「まだ途中だ」と答えられる。
これらが現在地を示すのに対し、「まだ読んでいない」は細かな位置を報告しない返事として選べる。相手が何のために尋ねたのかによって、基準になる場所も動く。
感想を話したいなら、ひとまず読了が必要になる。特定の章について尋ねているなら、そこまで進んでいれば話せる。内容を明かしてよいか確かめているなら、結末を知っているかどうかが境目になる。
同じ一冊を前にしていても、会話が必要としている範囲は一つではない。進み具合を詳しく答えると、「半分とはどの場面か」「そこまでをどう思ったか」と、現在地そのものが次の話題になることもある。
「まだ読んでいない」は、その詳しい説明をいったん省き、感想や結末についてのやり取りを先送りする。読んだ量の記録というより、今できる会話の範囲を知らせる返事なのである。
反対に、「読んだ」という肯定も、文字を一字ずつ残らず追ったという報告とは限らない。必要な部分を確認しただけで「読んだ」と答える場面もある。肯定と否定の境は、本の中に初めから印刷されているわけではない。
どこまでを一回の読書として数えるかを、会話の側がその都度決めている。
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