RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
雨のない朝、草の先に露が並ぶ
雨が降っていない朝にも、草の葉は濡れている。先端には丸い水滴が並び、少し大きくなったものは今にも落ちそうである。濡れていれば、上から水が来たと考えたくなる。
私が朝露に引っかかるのは、その見た目と生まれ方が一致していないところだ。露は、空から降ってきた細かな雨ではない。空気中にもともと含まれていた水蒸気が、草の表面で液体の水に変わったものである。
水蒸気は目に見えない。それが水滴になって初めて、草の葉を覆う粒として見えるようになる。ここで大事なのは、朝の気温だけではなく、草そのものの温度である。
物の表面は赤外線として熱を放出している。晴れた夜には雲から戻ってくる熱が少ないため、地表や草の葉は熱を失い、周囲の空気より低い温度になることがある。
これが放射冷却である。冷えた草に触れると、そのすぐ近くの空気も冷やされる。空気が抱えていられる水蒸気の量は、温度が下がるほど少なくなる。
含まれている水蒸気の量を保ったまま冷やし、飽和に達する温度が露点だ。草の表面付近がそこまで冷えると、気体でいられなくなった水蒸気が凝結し、水滴になる。
風が弱い夜は、草の表面近くで冷えた空気が急に入れ替わりにくく、低い温度が保たれやすい。ただし、風は周囲から水蒸気を運ぶ働きや、草と空気の間の熱のやり取りにも関わっている。
強い風は冷たい層を崩しやすい一方、風が弱いほど必ず露が増えるとは限らない。露の有無は、風の強さだけでなく、湿度や草の表面温度などが重なって決まる。
秋に朝露が目立ちやすいのは、夜が長くなり、晴れた夜には地表が冷える時間を取りやすくなるためである。ただし、晴れさえすれば必ず露ができるわけではない。
空気が乾いていれば露点は低く、草の表面がそこまで冷えないこともある。風や雲、湿度が少し違えば、同じ季節でも葉が濡れない朝はある。雨との違いは、水滴になった場所にある。
葉の面で生まれた粒も、形や傾きに導かれて先端へ集まるため、先の一滴だけが目立つことがある。雨粒は雲の中で成長し、地上へ落ちてくる。霧は細かな水滴が空気中に浮かんでいる。
露の場合、水蒸気は気体のまま草の近くまで来て、冷えた表面で水滴になる。草は、落ちてきた水を受け止める器ではなく、相変化が起きる場所になっている。
露の付き方にむらがあるのも、そのためだ。同じ場所にある物でも、熱の失いやすさや地面から伝わる熱、空への開け方が異なる。草の葉には露が目立つのに、近くの物にはほとんど見えないことがある。
周囲の気温が一つでも、それぞれの表面温度まで同じとは限らない。葉が細く先へ傾いていれば、水滴は重力に従って低い方へ動き、先端に集まりやすい。
幅のある葉や水平に近い葉では、粒が面の途中に残ることもある。さらに、表面の細かな凹凸や水をはじく性質によって、水滴が丸くまとまるか、薄く広がるかも変わる。
葉脈や縁が水の通り道となる場合もあり、似た形の葉であっても粒の配置は一様ではない。同じ朝、同じ場所で冷えた草を見ても、先端に粒が並ぶ葉と、面に細かな露を散らす葉と、目立つ滴をほとんど持たない葉が隣り合うことになる。
草の先端にある一滴も、そこで最初から大きな粒として生まれたとは限らない。葉の面にできた小さな水滴が互いにつながり、傾きに沿って移動し、先端へ集まることがある。
朝に見えているのは水滴の現在地であって、水滴になった場所と同じとは限らない。
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