RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
読み終えた本の目次を、もう一度ひらく
目次に印刷されている内容は、読書の前後で変わらない。章題も、その並びも、ページ番号も同じである。それなのに、読み終えた本の目次をひらくと、最初に見たときとは別のものが載っているように感じられる。
この変化が気になる。読む前の目次で、章題は本文の予告をしている。具体的な題なら、およその内容を想像できる。
短い語だけを置いた章題なら、その意味はまだ定まらない。いずれにしても、目次の視線は先へ向かっている。第何章まであるのか。
どこで話が切り替わるのか。長い章と短い章はどれか。まだ知らない本文を、外側から測るためのページである。
この段階では、章題がほぼ横並びに見えることも多い。重要そうな題はあっても、どの章が本全体を支えているのかまでは分からない。ページ番号も、読みたい箇所へ移るための案内に近い。
目次は先の予定を示すが、その予定の中身までは持っていない。読後には、その横並びが崩れる。ある章題には複数の場面が重なり、別の章題には一つの主張が強く結びつく。
読み進めていたときには独立して見えた二つの章が、目次の上では隣り合っている。その並びを見て、前の章で置かれたものが次の章で扱い直されていたと気づくこともある。
ここで目次は、内容を短くまとめた一覧とは少し違う働きを始める。各章の説明ではなく、章どうしの距離を見せるのである。本文では何十ページも隔たっていた箇所が、目次では数行の間に収まる。
その縮まり方によって、一章ずつ読んでいたときには捉えにくかった本の組み立てが現れる。ページ番号の見え方も変わる。読む前には目的地の番号だったものが、読後には配分を示す数字になる。
どの章に多くの頁が使われ、どこから終盤が始まるのか。中心だと思っていた章が意外に短かったり、導入と思っていた部分が本全体のかなりの幅を占めていたりする。
内容の強さと頁数は同じではない。そのずれも、目次に戻ると見つけやすい。一方で、目次は読書の結果を正確に再現するわけではない。
長い章のすべてが残るとは限らず、短い章の一箇所だけが本全体の印象を決める場合もある。目次に示されるのは著者が分けた構造であり、読み手の中にできた区切りとは一致しない。
その不一致があるからこそ、読後の目次には見るところがある。章題の順序と、自分の中に残った順序を比べると、読書が本文どおりには保存されていないことが分かる。
後半の章を思い出してから冒頭の意味が変わることもあれば、離れた二章が一組になって残ることもある。目次は本が用意した順番を崩さずに示している。
その上へ、読み手が実際にたどった別の順番が重なる。連続した論旨を持たない随筆集や短編集では、前の章が次の章を準備するとは限らない。そこで読後の目次に戻ると、章の因果より、並べ方によって生まれた近さを見比べることになる。
本文では独立していた題材が、章題の一覧では同じ語調や反復する題を通して緩くまとまって見える。反対に、よく似た内容でも離して置かれていれば、その間隔が一冊の中で際立つ。
筋をたどる本の目次が流れを圧縮した地図なら、独立した章からなる本の目次は、互いの間隔を測る配置図に近い。読む前、目次はまだ入っていない本の内部を予告していた。
読後には、本の構造と、自分がどこを厚く受け取ったかを見比べる面になる。印刷された文字は一字も増えていない。増えたのは、章題と章題のあいだに見える関係である。
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