RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
「雨模様」が映す、降る前と降り始めた空
「雨模様」と書かれていると、傘が必要なのかどうかが、すぐには決まらない。雨が降りそうなだけなら、傘はまだ閉じている。すでに降っているなら、開いているはずである。
この語には、傘を開く前と開いたあとが同居している。「雨模様」は、雨が降りそうな空の様子を指す語として使われてきた。雲が厚くなり、空の色が変わり、いつ降り出してもおかしくない。
まだ雨粒は落ちていないが、空にはその前触れが現れている。ここでの「模様」は、いま起きている現象そのものより、これから起こりそうなことを知らせる様子に近い。
一方、現在では、すでに雨が降っている状態にも「雨模様」が用いられる。「今日は朝から雨模様だ」とあれば、小雨が続く一日を思い浮かべても不自然ではない。
従来の意味に照らせば、雨が降り出した時点で「雨模様」は終わるはずなのに、実際の使い方では、その先まで語の範囲が延びている。私は、この違いを正誤だけで分けるより、雨のどの段階を一語に収めようとしているのかが気になる。
降る前と降り始めたあとには、はっきりした境がある。最初の一滴が落ちれば、現象としては雨である。ところが空全体の様子は、その一滴を境に別物へ切り替わるわけではない。
降りそうな空から細かな雨へ移る途中には、同じ雲の重さが続いて見える。「模様」という部分も、意味の広がりを受け止めやすくしているのだろう。「雨」だけなら、降っているか降っていないかが問われる。
「雨模様」となると、雨を含んだ天気全体のありさまを表すようにも受け取れる。雨粒の有無より、空や一日の具合へ目が向く。その受け取り方では、降り始めたあとも語の外へ追い出されない。
もちろん、どちらの意味でも同じように読めるわけではない。「午後から雨模様になる」は、午後から雨が降りそうになるとも、午後から雨になるとも取れる。
「外は雨模様だ」なら、すでに降っている場面を想像する人も多いだろう。語の意味は一語だけで決まらず、「なる」「続く」「外は」といった周囲の表現に支えられている。
文章で時間の順序が重要なら、この幅は見過ごせない。「雨模様になったので洗濯物を取り込んだ」と書けば、雨を予想して取り込んだのか、降り始めてから取り込んだのかが残る。
そこを明確にしたいなら、「雨が降りそうになった」「小雨が降り始めた」と書き分けた方がよい。「雨模様」が誤りだからではなく、その一語では境目を引き受けきれないからである。
それでも、従来の意味は古いとして片づけたくない。雨になる前の空だけを指せる表現には、まだ降っていない時間がきちんと残る。反対に、現在の用法を誤りとして退ければ、現にその意味で交わされている文を読み違える。
片方を消して整えるより、二つの範囲が重なっていると見た方が、実際の使われ方には近い。ただ「雨模様」とだけ置かれたとき、その三文字の中では、傘はまだ閉じていることもあれば、もう開いていることもある。
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