RYU TAKEOCA BLOG
武岡 隆のブログ
本、活字、日本語、物語、記憶、時間。
日々の中でふと立ち止まったことを、武岡 隆の言葉で静かに綴ります。
どんぐりの帽子に刻まれた、うろこや輪の模様
どんぐりの帽子は、実に添えられた飾りのように見える。実の方には大きさや丸みがあり、表面にはつやもある。それに対して帽子は、外してしまえば脇へ置かれやすい。
私が気になるのは、その目立たない半球に、実以上にはっきりした違いが並んでいることである。帽子と呼ばれる部分には、「殻斗」という名前がある。どんぐりの基部を包み、木の種類によって形や表面のつくりが異なる。
細かなうろこを重ねたようなものもあれば、横向きの輪が何段も並ぶもの、とげのように細長い部分が伸びるものもある。「模様」と呼ぶと、平らな面に線を描いたものを思い浮かべる。
殻斗の模様は、あとから刻まれた印ではない。小さな部分がどのように並び、重なり、伸びているかという、殻斗そのもののつくりである。うろこ状の殻斗なら、一枚ずつの境目が見える。
輪状のものでは、その境目よりも、周囲を巡る線の連なりが先に目へ入る。とげ状のものは、表面と突起を分けて見ることさえ難しい。たとえばコナラの殻斗には、小さなうろこが瓦のように重なって見える。
シラカシやアラカシなどでは、同心円状の輪が目立つ。クヌギでは細長い部分が外へ伸び、実のまわりに毛や針が集まったような姿になる。同じ「帽子」でまとめるには、ずいぶん違う。
実の輪郭を比べる場合、丸いか細長いか、先端が鋭いかといった差を追うことになる。ただ、その差は連続的で、どこから別の形と見るか迷いやすい。殻斗の表面なら、瓦状の小片が重なる、横向きの輪が続く、細長い突起が外へ伸びるという、並び方そのものを比べられる。
実の大きさに幅があっても、輪郭の印象とは別の位置から判断材料を拾えるのである。どんぐりは一つの植物だけを指す名ではなく、さまざまな木の実をまとめて呼ぶ言い方である。
似た実が落ちていても、同じ木から来たとは限らない。反対に、同じ種類でも成長の具合によって大きさや形に幅が出る。輪郭と殻斗を別々に確かめることには、見た目の個体差と、種類ごとのつくりを混同しにくくする意味がある。
落ちたあとの変化を考えると、殻斗には輪郭とは別の利点もある。実の色やつやは、落ちてからの時間や傷み方によって変わる。殻斗にも欠けや汚れは生じるが、一部が残っていれば、小片の境目や輪の向きをたどれることがある。
もっとも、地面に落ちた実と殻斗が、いつも一組のまま残っているとは限らない。外れた帽子だけが転がっていることもあり、複数の木が近くにあれば、別々の実と殻斗が混じる可能性もある。
帽子の模様が分かったからといって、目の前の実との組み合わせまで直ちに確定するわけではない。足元だけでなく、その周囲にどの木が立っているかを見る必要も出てくる。
「帽子」という呼び名は、上に載せて外せるものを思わせる。ところが殻斗を手がかりにすると、視線は反対へ動く。実から外れた小さな半球を見ていたはずが、枝に付いていたときの向きや、頭上の葉や幹の違いへ戻されるのである。
次にどんぐりを目にしたとき、帽子の表面にある一筋の輪が、実の丸さより先に目へ入るかもしれない。
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